いざ舞台へ パラアスリート

(下)車いすマラソン西田宗城 4年前の悔しさ胸に

障害者車いす陸上の西田宗城選手。トレーニングをする西田選手=19日、大阪市此花区のアミティ舞洲(前川純一郎撮影)
障害者車いす陸上の西田宗城選手。トレーニングをする西田選手=19日、大阪市此花区のアミティ舞洲(前川純一郎撮影)

 「母国開催のパラリンピックは一生に一度のチャンス。表彰台にのぼりたい」。前回リオデジャネイロ大会の代表選考レースでわずか3秒届かず、出場を逃した悔しさを胸に刻み続けた4年間だった。

 「ゴー」。筋肉で覆われた両腕で後輪を目いっぱい回せば、風を切る音が耳に届く。3輪タイプの競技用車いすで42・195キロを疾走する車いすマラソン。スピードは平地で時速30キロにもなり、集団でレースが展開されることも多い。

 本格的に競技を始めて約15年。約1時間半で駆け抜けるレースに魅了され続けた。「スピードと駆け引き。相手の表情を見ながら、仕掛ける場面を考えるところがおもしろい」と日焼けした顔をほころばせる。

 大学3年だった20歳のときに同乗した友人の車が電柱に衝突、脊髄を損傷し、下半身不随となった。「かなり落ち込んだが、そんな素振りを見せたくなかった」。見舞いに訪れた友人の前でダンベルを使いトレーニングするなど、気丈に振る舞った。車いすマラソンとの出合いは事故から約2年後。自宅で関連のテレビ番組を見ていて「ごっつい腕の人が河川敷を走っている姿に衝撃を受けた」。

 2012年ロンドン大会の代表には漏れたが、大阪マラソンを2連覇するなど、リオ大会選考レースは力をつけて臨んだ。代表への条件は「5位以内で日本人最上位」。結果、日本人最上位となったものの、レース終盤でかわされ3秒差の6位。その後も記録を残せず、代表の座を逃した。

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