ちば人物記 木内家第17代当主 木内克子さん(62)「義民、佐倉宗吾旧宅を守る」

宗吾旧宅を守る第17代当主の木内克子さん=成田市(塩塚保撮影)

 緑豊かな千葉県成田市台方に、こんもりとした林を背にして堂々たる屋敷が建っている。「宗吾旧宅」。江戸時代に佐倉領民を救った義民、佐倉宗吾(本名・木内惣五郎)ゆかりの屋敷である。第17代当主の木内克子さんは旧宅を守り、義民伝承を語り継いでいる。

 佐倉藩の領民は暴政と重税で苦しんでいた。名主の宗吾は藩重役に減税を願い出るが、取り上げられない。佐倉藩の江戸屋敷に訴えようとしたが、門前払いに。万策尽きた宗吾は将軍への直訴を決断する。4代将軍、徳川家綱が上野・寛永寺に参拝したおり、直訴を決行。領民は救われたが、宗吾と子供4人は処刑された。

 「幼いころ、祖母から子守歌のように先祖の物語を聞かされました」と笑顔で振り返る。

 当時、木内家の次女は、水戸藩領内に嫁いでおり、処刑を免れた。そして佐倉藩から木内家の再興を認められ、夫と死別後、実家に戻った。先代当主の利左衛門さんは平成28年、96歳で死去した。

 「先代が亡くなり、私が木内家を継ぎました。命がけで領民を救った先祖を持つことは誇りですが、重責だと思います」

 木内家は元々、房総半島を拠点とする武将、千葉氏の家臣で、帰農して名主総代となったと伝えられ、名字帯刀を許され、宗吾の刀は大切に保管されている。屋敷はケヤキの大木ではりを組む。江戸時代に建てられ、18畳の広い座敷の仏壇に宗吾の位牌(いはい)が安置されている。

 「東日本大震災の時、激しく揺れましたが、屋敷はびくともしなかった。位牌も倒れませんでした。昨年の台風でも無事でした」

 敷地内には清水がわき、「椿井」と呼ばれている。宗吾は江戸へ直訴に行く前、死を覚悟して、この水をくんで妻子と水盃(みずさかずき)を交わしたという。

 「死への恐怖は絶対あったと思います。それでも、自分の命と引き換えに領民を救おうとしたのです」。そして、「ここのいいところは、子孫が、自分の住まいで伝承していることです」と語る。

 要人らが記帳した芳名録には、歌舞伎役者たちの名も記されている。宗吾の劇的な生涯を軸にした物語は現代でも上演され、公演前には、役者たちは仏壇の前で手を合わせるという。

 「宗吾を演じる役者はストイックにはまり込む。稽古を終えて、自宅に帰ってからも、口調や姿勢は宗吾になりきったままだそうです。屋敷はいたみが激しいが、なんとか保ちたい。これからも宗吾旧宅を守っていきます」と明るく、生き生きと語った。(塩塚保、写真も)

 きうち・かつこ 昭和32年、千葉県成田市出身。元旅行会社社員。退社後、カナダで暮らす。帰国後、木内家を継ぐ。セラピスト。草月流師範。好きな言葉は「為せば成る」。

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