話の肖像画

弁護士・北村晴男(63)(2)人生を決めた理不尽な廃部

幼少のころ。小学校に上がるころからは野球に明け暮れる毎日だった
幼少のころ。小学校に上がるころからは野球に明け暮れる毎日だった

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《あんずの里として知られる長野県更埴市(現・千曲市)。千曲川をはさんで田園風景の広がるこの地で生まれ育った》

小学校に上がる頃から自分にとって楽しい遊びは野球しかありませんでした。3、4人集まったら野球です。野球をやったことのない近所の女の子にもルールを一から教えて一緒に遊びました。バットがなければほうきでも何でも、ボールが打てれば何でも良かった。どうしても野球をやりたかったのです。中学では1年4カ月だけ野球部に所属しました。というのも、2年生の始業式のとき、講堂で校長が突然、「7月の大会が終われば、野球部は廃部にします」と発表したのです。「はっ?」と思いましたね。

廃部の理由は「野球は体育の教科にない。それに野球はバットを振り回してけがの恐れがある」と。ふざけるなという話ですよ。「体育の教科にない」は現に存在する部を廃止する理由にならない。誰かがけがをしたという事故も一つもなかった。その日から卒業するまで毎日、担任に提出する「生活ノート」という日記に、「校長、教頭、教師は教育者としての資格がないから、ただちに辞めるべきだ。廃部の正当な理由を説明できない。こんな人間が教育していいのか」と書き続けました。担任からはハンコが押されるだけで、メッセージが添えられることはありませんでしたね。

《野球少年が納得する合理的な説明は、最後までなかった。この経験が後の進路を左右する》

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