話の肖像画

元郵政相・八代英太(82)(7)「国会バリア」障害者の知恵で

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<昭和52年の参院選に、全国区から無所属で初挑戦した。「車いすを国会に」をスローガンに掲げ、自身と同じように障害のある仲間たちに支えられて選挙戦を展開した>

当時は「タレント議員」が花盛りのときでしたから、いろんなタレントさんが出馬していました。そういう中でもマスコミは僕のところにはあまり来ないで、泡沫(ほうまつ)候補的な扱いでしたね。そんな状態でしたが、「ステージのせり(昇降装置)から5メートル下に落ちたときの痛みを思えば、選挙で落ちることはどうってことない」と覚悟は決めていました。選挙事務所は別に作らず、自宅を拠点に全国の仲間に呼びかけて一生懸命やりましたね。

〈選挙戦では、車いすを選挙カーに積み込んで、北へ南へ奔走した。選挙カーのハンドルを握ったのも障害のある仲間だった。終盤に入ると床ずれのつらさに限界を感じながらも、84万票を獲得し、見事初当選を果たした〉

政見放送が得意でした。多くの候補者がカメラの横にある紙を見ながら話すため、目がうつろになるけど、僕はしっかりとカメラを見据えて自分の言葉で福祉を訴えました。政見放送を見た人たちから「感動した」という言葉や激励も多くいただきました。今までのテレビでの活動もありましたし、蓋を開けてみたら当選でした。ただ僕が当選しそうになったとき、国会が慌てたんですね。当時、福祉は脆弱(ぜいじゃく)でしたから、車いすのための改装をどうするかと、参院の職員たちは書物などを必死で読んだようです。

〈同年7月27日召集の臨時国会では一番乗りで初登院し、中央玄関から秘書ら4人に車いすごと担がれ、階段を上った。ただ、当選当初は心ない声も多く寄せられた〉

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