変革 ハウス食品グループ

キョトンとされた発言 市場成熟化で変化決断

企業の理念をグループで共有することが重要だと話す浦上博史社長=東京都千代田区
企業の理念をグループで共有することが重要だと話す浦上博史社長=東京都千代田区

「言葉」でまとめ上げる

 ハウス食品グループ本社は、大正2年に創業した薬種化学原料店「浦上商店」から始まった。現在の社長、浦上博史(54)は6代目、創業家としては3代目にあたる。浦上は子供のころを「この家に生まれた以上、会社を継がないというのは重すぎる判断だし、継いだとしても務まるかと思うと気が重かった」と振り返る。

 祖父の靖介は21歳のとき、後継者がいなかったカレー粉の製造工場を引き受けて起業。昭和41年、父の郁夫は28歳で社長を継いだ。しかし、60年8月12日の日航機墜落事故で亡くなる。47歳。その日は、ハウス食品も脅迫したグリコ・森永事件の犯人が犯行の終結を宣言した日だった。

 当時、博史は大学2年生。重い気持ちを抱えながら体調を崩したこともあったが、その後の3年間の米国留学が転機となり回復したという。

 郁夫の死後、ハウスの社長ポストは創業家以外が引き継ぎ、博史は平成3年、住友銀行(現三井住友銀行)に入った。5年後にはハウスに戻る予定だったが、仕事に打ち込むうちにその意識は薄れていった。

 しかし、予定から1年が過ぎたある日、上司に呼ばれ突然、「この先どうするんだ」と問われた。「いずれはハウスに戻らないと、と思っています」「なら、今戻れ」。いつしか覚悟はできていた。

 9年のハウス入社後、いくつかの部署を移り、経営企画室で経営計画策定に携わり、と経験を積み14年に取締役就任。21年に43歳で社長となった。いわゆるたたき上げとは異なるタイプのリーダーだ。事業を俯瞰(ふかん)し、理詰めで道を探る感がある。

会員限定記事会員サービス詳細