中東和平案 パレスチナ「占領追認」拒否の姿勢

 【カイロ=佐藤貴生】トランプ米政権の新中東和平案は、パレスチナ側にのみ「痛み」を強いる内容となった。パレスチナ自治政府が早くも和平案を拒否する姿勢を示したのは、交渉に乗ること自体がイスラエルによる占領状態の追認と受け取られかねないためだ。

 イスラエルが占領し併合宣言した東エルサレムにはイスラム教やユダヤ教の聖地がある旧市街も含まれ、対立の核心をなしてきた。

 エルサレム全域を実効支配するイスラエルに対し、国際社会は1993年の「オスロ合意」を踏まえ、東エルサレムを首都とするパレスチナ国家を建設し、イスラエルと平和裏に併存させる「2国家共存案」の実現を模索してきた。

 しかし、イスラエルのネタニヤフ首相は28日、パレスチナ国家が成立しても首都はコンクリート壁と検問所で分断された東エルサレムの一部地域に限定され、旧市街は除外されるとの見通しを示唆。「東エルサレム」の概念を巧みにすり替える狙いが見え隠れする。

 和平案はヨルダン川西岸とガザ地区の間などが道路やトンネルで結ばれ、利便性が増すとしているが、イスラエル側の監視が強化され、パレスチナの分断が進む可能性も秘めている。

 48年のイスラエル建国直後に起きた第1次中東戦争を受け、離散したパレスチナ人は約70万人。子孫を含めた国連登録難民は550万人に上る。米ホワイトハウスは声明で、難民には(1)将来のパレスチナ国家に住む(2)居住する国で同化する(3)第三国に移住する-という選択があるとした。故郷に帰還する権利を求める難民を門前払いした格好だ。

 マドリードの中東和平会議(91年)で高まった和平の機運は、パレスチナの暫定自治に道を開いたオスロ合意として結実した。だが、イスラエル右派政党リクードの党首が2000年、旧市街のイスラム教聖地への訪問を強行し、第2次インティファーダ(反イスラエル闘争)に発展。パレスチナとの対話を否定するユダヤ人世論が急速に広がった。同党のネタニヤフ氏が首相だった14年から和平協議は中断したままだ。

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