話の肖像画

元郵政相・八代英太(82)(4)順風満帆、そして事故

車いす生活という「第二の人生」に向けて闘いが始まった
車いす生活という「第二の人生」に向けて闘いが始まった

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<山梨から上京し、タレントとしての道を歩みだしてからは、本名の前島英三郎ではなく、故郷の山梨県八代町(現・笛吹市)からとった芸名「八代英太」を名乗るようになった。タレントとしての活動も順調に進み始めている中、昭和43年に日本テレビで「お昼のワイドショー」がスタートし、レギュラー出演を果たした>

43年にちょうど参院選があったんです。あの頃は石原慎太郎、青島幸男、横山ノックら、いろんな人たちが立候補しました。いわゆる政治におけるタレントブームがあそこから始まったのです。その年に「お昼のワイドショー」が始まり、私は脇役でしたが、いろんなところで「突撃リポート」をしましたね。

<人気番組へのレギュラー出演で、お茶の間での知名度は抜群となった。芸能生活も順風満帆に進んでいたが、昭和48年6月3日、愛知県刈谷市の市民会館で歌謡ショーに出演中、転落事故に遭った>

歌手の畠山みどりさんの公演の特別ゲストに招かれて出演しました。20分ほど漫談や物まねをするなど打ち合わせはしていたのですが、僕がステージに出たときに何かの手違いで舞台中央のせり(昇降装置)が下がっていました。石原裕次郎さんの物まねをしようとして、2、3歩下がったら、そのまま5メートル下に落ちてしまったんです。後から聞いた話では、お客さんは演出かと思ったのか、しばらく拍手が鳴りやまなかったと聞いています。その時には僕はもう、意識はなかったのです。

<意識不明の状態が約50時間続いたが、一命はとりとめた。しかし、脊椎損傷により、下半身不随となった。歩行ができなくなることは、医師からは妻や肉親に告げられていたが、周囲は本人に打ち明けられないでいた>

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