【話の肖像画】元郵政相・八代英太(82)(3)芸は身を…タレントで活躍(1/2ページ) - 産経ニュース

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元郵政相・八代英太(82)(3)芸は身を…タレントで活躍

テレビ番組「土曜ショー」に出演。高島忠夫氏(左)、いしだあゆみ氏(前列中央)ザ・ドリフターズのメンバーと
テレビ番組「土曜ショー」に出演。高島忠夫氏(左)、いしだあゆみ氏(前列中央)ザ・ドリフターズのメンバーと

 <昭和の大スター、石原裕次郎さんの「スカウト」を信じて上京した昭和38年、石原プロモーション入りはかなわなかったが、故郷の山梨には戻らず、都内に住む兄の下宿で寝泊まりをした>

 ラジオ山梨(現・山梨放送)を退職して、知人から餞別(せんべつ)をもらい、退職金も清算してきたもんですから。それはもう故郷に帰るに帰れなかったです。同郷の人たちのコネも頼りにしながら、いろんな放送局を訪ね、雨が降ったときのプロ野球中継の代わりに流す雨傘番組の制作にかかわるなど、アルバイトみたいな形で過ごしていました。公開録画なんかで「皆さん、私がこのかわいい紅葉のような手を振りましたら、拍手をしてください」というようなことをやっていたら、ディレクターから「お前、器用だな」と褒められるようになったんです。そのうち進行表なども任されるようになり、色々な放送局を出入りするようになりました。

 <放送局などで仕事を重ねる中、昭和40年には知人の紹介で大宮デン助さん率いる「デン助劇団」の一員となり、浅草の舞台に立ち、タレントとしての道を歩みだす>

 ちょうどお笑いブームのときで、「てんぷくトリオ」の三波伸介さんと仲良くなり、番組に呼んでくれるようになりました。「1人で物まねをやってみろ」といわれ、眉墨で顔にひげや眼鏡を書いて、俳優の森繁久彌さんの物まねをやったりしました。そうこうするうち、少しずつ売れ出してきたのです。売れてきたら、いろんな女の子でもより取り見取りとか思っていたんですけど、そんな時にふとおやじのことを思い出しました。