またまた〝交換要員〟に名前が挙がった南海・門田は、奈良市学園前の自宅で「あり得ない話やな」ときっぱりと言い切った。
「毎年、毎年、よう名前が挙がる。今までのものは全部〝ない〟という自信があったが、ことしの新浦は〝ひょっとしたら〟と思ったよ」
門田によれば、相手の名前を聞いただけで、なる話かならない話かの判断はつくという。
「トレードはチームが強くなるためには、どんどんやるべきだと思う。オレが出て南海が良くなるのなら…これも生まれ育ったチームへの〝愛着心〟とちゃうか」
江夏に江本、そして門田…と、トレードに対するそれぞれの思いがあった。
12月13日、箕面市の自宅マンション。午前7時過ぎ、新妻・安紀子夫人の「あなた、大変。南海に行くそうよ!」の声で掛布は目を覚ました。S紙に報じられた『放出』の文字…。新聞記事を読みながら掛布は大きく深呼吸したという。
尼崎市・浜田球場での冬季練習にやってきた掛布を、虎番記者たちが取り囲んだ。
「トレード話? 全然、分からないですよ。ボクに聞くより、書いた本人に聞いてくださいよ!」
掛布は怒っていた。それっきり口を閉ざし、以後もこの件に関して話をしようとはしなかった。
それから長い年月が過ぎた。阪神のユニホームを脱ぎ十数年がたったある日、ふと〝この日〟のことを聞いてみた。
「あのときね、もし、球団からトレードを通告されたら、引退しようと思っていたんだ」
――えっ、野球をやめるということ? まだ25歳やで
「田淵さんとの〝約束〟。それを守れないから…」
昭和53年オフ、憧れの先輩・田淵が西武へのトレードを通告された。その翌日、田淵から電話がかかってきた。
「おう、カケか。西武にいくことになった。ええか、お前はオレや江夏のように、途中で縦じまのユニホームを脱ぐような野球はするなよ。約束やぞ」
掛布は涙を流しながら「はい」と答えたという。
「田淵さんから言われたあの約束を果たせないから…。それに、1回のケガでボクを放出する球団の思い通りにさせてたまるか!という意地もあった」
掛布の〝沈黙〟の裏にそんな決意があったとは…。ともあれ、トレード報道は「誤報」とされ一件落着したのである。(敬称略)