25歳の若さで乳がんと診断された、元SKE48の矢方美紀さん(27)。おととしの春に闘病を公表した。今もホルモン治療を継続中だが、「病気だけが私の人生ではない」と、夢だった声優への道を一歩一歩進んでいる。
〈平成30年4月、左乳房の全摘手術を受けた。退院後に病名を公表した〉
手術後の病理検査の結果はステージIIIAでした。抗がん剤の副作用で髪も抜けるだろうし、見た目で分かってしまう。理由を伏せたままだと違う病気と誤解されてしまうかもしれない。事務所と相談して、「乳がんだけれど無理のない範囲で前向きに仕事をしたい」という意思をブログで公表することになりました。
正直な気持ちを知ってほしかったけれど、反応が怖かった。「25歳で乳がんになるんだ」と驚いた方もいれば、「この子は死ぬんだろうな」という声もありました。どんなに「私は大丈夫」と伝えても、「死ぬの?」とか「病人らしく過ごすべき」と言われ、嫌気がさしたときもありました。
伝わらないつらさ
5月に抗がん剤治療が始まると、副作用で顔がむくみ、髪が抜けました。味覚障害で食べ物がおいしく感じられない。自分の体のにおいもだめになりました。傷口が臭く感じるんです。
仕事では、ウイッグを着け、左胸がないのを隠すためにダボっとした服を着ました。抗がん剤治療で体力が落ちていたので、気持ちは元気なのに声に覇気がない。「がんばりたくてもそれが伝わらないつらさ」を抱えていました。
それでも、知り合ったがん患者さんから「治療が終われば副作用は落ち着く」とアドバイスをもらっていたので、「髪の毛もだんだん生えてくる。落ち込むことはない」って自分に言い聞かせました。
アニメ作品にも励まされました。登場人物は何かに心が折れてもけがを負っても、倍くらいの勢いで突き進む。「この主人公は、こんなけがを負っているのにしっかりと前を向いて立ち上がっている」って自分に置き換えていました。
11月からはホルモン治療が始まり、10年間続きます。精神的に不安定になることも多いけどやるしかない。これも運命だから。
語り合える場を
「がんイコールかわいそう」というイメージがあって、明るくふるまっていると「強がって偉いね」と言われてしまいます。でも、乳がんだけが私の人生じゃない。祖父は前立腺がんでしたが大工の仕事を続け、病気だってそぶりを見せなかった。父も腎臓が悪くてしんどそうなときもありますが、いつも私を気にかけてくれています。病気が全てではないし、ほかに目を向けるほうが人生が楽しい、と教わりました。
〈講演などで闘病を語る機会も増えた。昨年11月からは講談社のウェブサイト『コミックDAYS』で、漫画『27歳のニューガン・ダイアリー~ボクの美紀ちゃんが乳がんになった話~』(作・冬川智子)が連載されている〉
病気について話すときは、どうやったら伝わるか自分なりに考えています。漫画連載が始まりましたが、がんについて考えたことのない人にも読んでもらえたら。病気になっても普段通りの笑顔や仕事があり、日々生活していることを伝えたい。
AYA世代のがんは、まだよく知られていません。妊娠や結婚など若いからこそ将来への不安や考えなくちゃいけないこともある。もっとがんについて気軽に話せる場所があれば、体のことを知ることができるし、相手を思いやれるようになるんじゃないかな。(油原聡子)
矢方美紀
やかた・みき 平成4年、大分県生まれ。21年から、SKE48として活動。29年2月に卒業した後、30年1月に乳がんと診断される。4月に病名を公表。現在はホルモン治療を継続しながら、イベントやテレビ番組に出演。リポーターやナレーターなどを担当する。著書に「きっと大丈夫。~私の乳がんダイアリー~」(双葉社)。