虎番疾風録

アメリカから衝撃の悲報 其の参105

虎番疾風録 其の参104

筆者の周りで頻繁に起きる騒動、事件は国内だけにとどまらなかった。

12月9日、アメリカから驚くべき〝悲報〟が届いた。それは元ビートルズのメンバー、ジョン・レノンが、ニューヨーク・マンハッタンの自宅マンションで何者かに射殺された―という衝撃のニュースだった。

編集局は大騒ぎとなった。部長やデスクたちはみなビートルズの大ファン。昭和41年6月に、法被姿で羽田空港に降り立った彼らを熱狂的に出迎えた、いわゆる〝ビートルズ世代〟だった。

刻々と事件の詳細が入ってきた。レノンはニューヨーク市内で有名な豪華アパート「ダコタ・ハウス」にヨーコ夫人と息子のショーン(当時5歳)の3人で暮らしていた。ニューヨーク市警によると事件は8日(日本時間9日)午後10時、そのアパートの玄関先の庭で起こった。

ヨーコ夫人と2人で食事から戻ったとき、潜んでいた犯人のマーク・チャップマンから「レノンさんですか?」と声を掛けられ、同時に背中を5発、ピストルで撃たれた。絶叫するヨーコ夫人…。

レノンは駆けつけたパトカーでマンハッタンのウエストサイドにある「ルーズベルト病院」に運ばれたが、ほぼ即死状態。医師も手の施しようがなかったという。

レノンがヨーコ(小野洋子)と結婚したのは昭和44年3月のこと。「結婚する前の年、小野家のゲストハウスでヨーコの親類に紹介された。そのときボクは名前をジョン・オノ・レノンと変えて半分、日本人になった。日本は第二の故郷だ」とレノンはいう。そして息子が生まれると「ショーンには日本の空気や土を自分の肌で感じさせてやりたい」と毎年、来日して軽井沢で夏を過ごし、自転車で街を颯爽(さっそう)と走るレノンが目撃されていた。

レノンは5年ぶりにレコード界に復帰した。新しいレコード会社と百億円の契約を結び、ヨーコ夫人と2人でプロデュースしたアルバム「ダブル・ファンタジー」を8月に製作。日本では12月5日に発売したばかりだった。

そんなレノンがなぜ…。当初、サインを断られ、チャップマンが恨んだ末に犯行に及んだ―と報道された。その後、フリーメイソンの「陰謀説」などが飛び交ったが、後年、チャップマンは「レノンを殺すことで注目を浴び、有名になりたかった」と、殺害の動機を語っている。

「虎番」1年目、55年に起こった〝10大ニュース〟のひとつである。(敬称略)

虎番疾風録 其の参106

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