話の肖像画

福岡ソフトバンクホークス球団会長・王貞治(79)(15)心機一転、福岡へ

ダイエーホークスの監督だった根本陸夫さん(右)と
ダイエーホークスの監督だった根本陸夫さん(右)と

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《昭和63年にユニホームを脱いだ。自由を楽しむつもりが、襲ってきたのは虚無感だった》

30年間、ジャイアンツのユニホームを着ていて、そこから外れたから自由になれるし、当初は「今までできなかったことをやれるな」と思っていました。でも実際に脱いだらね、半年もしないうちに物足りなくなったんです。あの戦いの輪の中にいて喜怒哀楽を素直に出せること、そこは勝負の世界で勝ち負けがあるのですが、やったときの達成感はすごいものがある。

その中に30年間いて、輪から外れたら勝とうが負けようが関係がなくなった。輪の中にいた者としてはこれほど物足らないことはない。ゴルフとかいろんなものを探してやってみたのですが、やはり野球ほど熱中できるものがなかった。ユニホームを脱いだ人はみな再び着たがる。自分が脱いでみて虚無感を感じ、初めてそういうことなのかと思いました。

監督をやめて1年目、2年目に他球団から誘いもありましたが、まだその気にはなれなかった。ところが時間がたつにつれて「着たい」という思いが湧いてきた。こうしたタイミングで、根本(陸夫)さんからの誘いがあったのです。

平成5年の秋だと思う。ホテルのロビーでばったりと会って「ワンちゃん、オレの次に頼むよ」と。

《根本陸夫さんは球界の寝業師の異名を持つ。常勝西武の土台を築き、5年からダイエー(現ソフトバンク)の監督に就任していた》

最初は本気だとは思わなかったし、まだいろいろと抵抗もあった。でもその後、根本さんは何度も「ホークスには君が必要なんだ」と熱心に誘ってくれた。

それからホークスの試合をテレビで見るようになった。それなりの戦いをしているけど最後の最後に詰めの甘さがあったんです。優勝経験のあるチームとそうでないチーム差がくっきりと出ていました。根本さんだけでなく(ダイエーの)中内功オーナーともお会いした。「とにかく優勝できるチームにしてほしい」と。熱心だった。僕は幸いそういうチームのことしか知らない。そこで「私でよければ…」ということでユニホームを着ることにした。でも周りは百パーセント大反対でした。