各球団の1位指名が確定した。筆者は会場から中田の記者会見が行われる横浜市鶴見区の日産自動車の野球部独身寮へと向かった。〈なんで1位に中田やねん〉これが虎番たちの思いだった。
「本格派でとにかくタマが速い。スピードのあるところを高く評価した。十分、即戦力で期待できる。スピードでは竹本(新日鉄室蘭―ヤクルト)より上です」と小林チーフスカウトは胸を張った。だが、それほどの好投手なら、なぜドラフト前に噂に上らなかったのか…。
他球団との競合する有力選手を避けて〝安全策〟に逃げた? 翌日の各紙の1面には『阪神、大穴狙い』『中田1位指名の〝怪〟』という見出しが躍った。
阪神首脳陣たちはドラフト前日の夜遅くまで、情勢分析に追われていた。竹本、山内(リッカーミシン)…と候補が消えていく中で最後まで残ったのが高山(秋田商)と中田。そして深夜になって「高山を指名しても、お父さんがOKとは言わない」という情報が入った。
虎番記者に囲まれた中田は「1位指名はうれしいです。地元の大洋が第1志望だったんですが、阪神もいいチームです」とうれしそうに笑った。米国のミュージカル俳優、ジョン・トラボルタに似た顔立ち。〝目力(めぢから)〟あり。〈笑顔がええなぁ〉と筆者は思った。
背番号「28」。大投手・江夏の番号をつけた中田は翌昭和56年、1年目のシーズンからマウンドで躍動した。「先発」から「中継ぎ」に変わった5月4日の巨人戦(後楽園)でプロ初勝利を挙げると、6月2日の広島戦(広島)で初セーブ。当時からフォークボールを武器にしていた中田を「三振の取れる投手」と判断した首脳陣は、ルーキーながらも〝抑えの切り札〟に抜擢(ばってき)した。
あれよあれよという間に勝ち星もセーブも増える。なんと前半戦が終了した時点で6勝5敗8セーブ。『若き猛虎の守護神、誕生!』と一躍、阪神のスターにのし上がった。
「まさに天国にいる気分でしたね。毎日のように段ボール箱でファンレターが届けられるし、何をやってもうまくいくような気がした」
輝かしい1軍の成績をひっさげ、中田は7月24日、ナゴヤ球場での「ジュニア・オールスター」に出場した。予定は抑えの1イニング。ところが、試合が2―2の同点のまま延長戦に突入し、中田は投げ続けた。2、3、そして4イニング目…。ズキーンという激痛が右肩を襲った。「右肩関節周囲炎」。中田の夢のようなルーキーイヤーはそこで終わった。(敬称略)