この時期になるとトレードの〝予測〟記事がスポーツ紙をにぎわせる。なぜ、予測となるのか。本来なら合意、成立した段階で記事にするのが本当。だが、どの新聞社も一日でも早く〝スクープ〟を報じたい。交渉に乗り出した初期の段階で書いてしまうからだ。もちろん、紙面に出ることによって不成立になるケースもあった。
11月12日、各紙の1面を飾ったのは「巨人・新浦、河埜―南海・門田、定岡」の2対2の交換トレードの記事だ。仕掛けたのは南海。このオフ、監督に就任したブレイザーの意向―といわれた。
広瀬監督の「辞任」を受け、球団が後任に白羽の矢を立てたのが、5月に「岡田問題」で阪神を退団したブレイザーだった。川勝オーナーは招聘(しょうへい)の理由を「南海の選手、コーチとしての経験もあり、彼の野球理論を高く評価しているから」と語った。
10月16日、大阪市内のホリディ・イン南海大阪で行われた入団会見。「大好きな日本に帰ることができて、こんなにうれしいことはない」と第一声を発したブレイザーに意地悪な質問が飛んだ。
――阪神をやめてまだ5カ月だが
「こんなにも早く日本に来られるとは思ってもみなかった。ただ、ひょっとしたら…という予感はあったよ」
――岡田同様、南海にもドカベン香川という人気者がいるが
「う~ん、難しい質問だね。まだ、本人のプレーを見ていないから、いまは批評できないよ」
そのブレイザー監督が仕掛けたのである。当時、南海は左投手不足。広瀬監督も「西武の永射を取ってほしい」と球団に要望したが成立しなかった。ブレイザーが狙いをつけたのは巨人の新浦。
「彼は素晴らしい投手だ。いま、巨人のフロントとうまくいっていない―という情報もある。ぜひ、取ってほしい」。交換要員として「野手では藤原、久保寺、河埜以外は全部出していい」と球団へ告げた。
右アキレス腱(けん)断裂(昭和54年2月)の影響がまだあったとはいえ、この55年、打率・292をマークし、41本塁打を放った主砲・門田を放出要員に。巨人にとってみれば、王が現役を引退し不在となった「4番」を任せられる。しかも、河埜、定岡を入れ替えることで両球団に〝兄弟プレーヤー〟が誕生する。話題性も文句なし。交渉は川勝オーナーが直接、巨人の正力オーナーへ持ちかけた―といわれた。だが、結局は不成立。
人と人とは〝縁〟のもの。トレードもまたしかり―。(敬称略)