いよいよ近づいてきた東京五輪・パラリンピック。京都府内でも芸妓さんや棋士など特色のある約40人のランナーが五輪熱の盛り上げに一役買う。前回、昭和39(1964)年の東京五輪の際にその重責を担った人は何を思うのか。改めて聞いてみた。
昨年のNHK大河ドラマ「いだてん~東京オリムピック噺(ばなし)~」。昭和39(1964)年の東京五輪を描いたこのドラマの最終回で最後の聖火ランナーにトーチをつなぐ女優の姿が放映された。その女優が演じたのが当時最年少で、中学3年だった井街(いまち)(旧姓鈴木)久美江さん(70)=京都市左京区。「沿道で声援を送るたくさんの人と青空の下で振られる旗を覚えている」と振り返った。
ゴム跳びが得意だったという少女は、桐朋女子中学(東京都調布市)で始めた走り高跳びで頭角を現し、全国大会に相当する大会で中学2、3年と連続優勝した。その大会後に大阪で開かれたインターハイを観戦するため兵庫県芦屋市の知人宅に滞在していた。そこに父から1本の電話が。「聖火ランナーに決まったから早く帰れ」。何のことか訳がわからず、とりあえず東京に戻った。五輪狂騒曲の始まりだった。
10月10日の開会式は快晴。当日の聖火ランナーは、戦後復興の象徴として中学3年から大学1年までの10代の8人が選ばれた。最年少で2人しかいない女子の1人、しかも聖火台に点火する最終ランナーに聖火をつなぐ大役を任された。雑誌の表紙を飾るなど注目度は増し、話していないことまで記事になるなど騒ぎが続いたという。
開会式当日、用意されたのはフレンチスリーブの白のTシャツと白の短パン。白い靴は自分のものだった。スタート地点となる神宮外苑の絵画館前から国立競技場前までの約500メートルを、右手にトーチを持って夢中で駆け抜け、最終ランナーの坂井義則さんに聖火をつなぐと、競技場のスタンドの下で聖火台に火がともるのを見守った。