「江夏―高橋直」の交換トレードは決して〝対岸の火事〟ではなかった。右投手を放出した日本ハムがその〝穴〟を埋めるべく、阪神・江本の獲得に乗り出し、近鉄や広島も「阪神は江本を出す気があるのかどうか」を調査し始めたのである。
江本が狙われた理由は、中西監督との「確執」にあった。昭和55年のテンピキャンプ、打撃練習の打球が外野でウオーミングアップをしていた投手陣に当たりそうになったことで、選手会長の江本と当時、打撃コーチだった中西は取っ組み合いの喧嘩(けんか)を演じていた。そして、中西が「監督」となった今シーズン10月に「騒動」は起きた。
◇10月7日 広島市民球場
阪神 000 110 000=2
広島 000 101 000=2
(神)江本、大町、池内―若菜
(広)福士、江夏―水沼、道原
(本)加藤⑦(福士)、ライトル(22)(江本)
同点で迎えた八回裏、江本は1死二塁のピンチで6番衣笠を四球で歩かせ一、二塁とした。ここで、阪神ベンチから藤江投手コーチが出て江本に「交代」を告げた。この時点で8勝15敗。9年連続2桁勝利に執念を燃やしていた江本は予期せぬ「交代」指令にブチ切れ「監督は○△×□か!」とマウンドで暴言を吐いたのである。
阪神の残り試合は7。この試合で9勝目を挙げなければ、2桁勝利は絶望的。しかも、衣笠への四球は「内角を攻めて併殺を狙おう。ダメな場合は歩かせて次のデュプリーと勝負」と若菜と打ち合わせてのこと。そんなことも知らんくせに! 江本は交代の投手が来るまでマウンドで待つ―というチームの決まりを無視。「エモさん、行っちゃダメだよ」という若菜の制止を振り切ってマウンドを降りた。
明らかな「首脳陣批判」と「規律違反」。だが、球団は一切を不問とした。江本は反省した。
「冷静さを欠いたのは良くなかった。何とか勝ちたかった。9年連続10勝なんて、大投手に比べたら次元が低い。けどオレにはそれなりの目標。おとなしく交代しとりゃ、波風も立たん。でもねぇ、オレはこの気性でもってる男やから」
中西監督も「投げたいという気持ちの表れ。問題にしとらん」と語っていた。だが、それは表向きのこと。首脳陣との〝不仲〟を重視した球団は、早々に江本を「放出要員」とし、各球団とのトレード交渉に当たっていたのである。(敬称略)