年の瀬デスクノート

ラグビーW杯の熱狂 「熱量」持続させ本物の人気に

 日本中が「桜旋風」に熱狂した今秋のラグビーワールドカップ(W杯)日本大会。工作機械メーカー「三井精機工業」(川島町)のラグビー部員だった園田隆春さん(68)も、初の8強入りを果たした日本代表の快進撃にくぎ付けになった。

 日本は4年前のW杯イングランド大会で優勝候補の南アフリカを撃破、歴史的勝利を挙げた。「だから、今回の大会はこてんぱんにやられると思っていた」が、テレビで試合をみていると「意外と強い。確かに強くなっている」と手放しで喜び「すごい」を連発する。

 「特に、攻守の中心となっている姫野和樹と主将のリーチ・マイケルがすごい。当たりもすごいし、ボールに向かう執念がすごい」

 大舞台を縦横無尽に駆ける日本代表の姿は、自身の現役時代と重なる。

 高校時代は目黒高校(東京都、現在の目黒学院)ラグビー部の主将。昭和45年の全国高校ラグビー大会で初優勝した。法政大卒業後の三井精機工業でもラグビーを続け、関東社会人連盟リーグ1部で活躍した。

 練習場所は駐車場を使うときもあった。車両と車両の間からボールを持って部員が走り、パスをする。荒川河川敷や小学校のグラウンドなども借りた。「それでも関東リーグ1部にしがみついていた」

 だが、同社は取引先企業の関係で自動車部門から撤退するなどし、ラグビー部も部員不足に陥った。昭和56年、リーグ2部に降格。創部から半世紀の平成13年、休部に追い込まれた。

 そんな同社ラグビー部の盛衰を5月、県版の寄稿連載「ラグビー史伝」で紹介した。その後のラグビーW杯を受け、ラグビー部復活の兆しはあるかも-という期待を込めて川島町に足を運んだ。

 「復活の動き? ない。兆しもない」と園田さん。淡い期待はすぐに吹き飛んだ。10年近く前に「もう1回、立ち上げよう」と幹部から提案されたが、仕事への影響や運営の難しさなどを考慮し断ったという。「一抹のさみしさはあるけれど、仕方ない」

 それでもラグビー熱は冷めていない。熊谷ラグビー場で母校・法政大の試合があると、必ず観戦する。「ラグビーの魅力は男と男のぶつかり合い。格闘技だよ。もちろん、痛いのは痛いけれど、おもしろい。観戦するより実際にやる方がおもしろい。今でも当時の楽しさは記憶に刻まれている」

 一連の取材を終えて同社を後にしようとすると、ラグビー部復活を願い、廃部届ではなく、あえて休部届を提出した元部員の男性社員もこう言い残した。「熱い思いは今も昔も一緒だから」

 ラグビーW杯日本大会で、3試合が行われた熊谷ラグビー場は満員の観客でスタンドが埋まった。県ラグビー協会の坂下辰夫副会長は「あんなに素晴らしい大会になるとは夢にも思わなかった」と振り返る。

 まさに一生に一度かもしれない経験を忘れず、熱量を持続させることが一過性ではなく、本物のラグビー人気につながる。 (岡田浩明)

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