外務省は25日、昭和30(1955)年から63年までの外交文書15冊(約6180ページ)を一般公開した。昭和が幕を閉じる前年の竹下登首相訪中に関連する極秘文書などが含まれる。竹下氏の訪中をめぐっては、外務省が事前の靖国神社「不参拝」を求めていた実態が明らかになった。
公開された外交文書からは、竹下登首相が昭和63年8月の訪中前に靖国神社を参拝すれば「訪中自体も危うくなる」として、当時の外務省が「参拝回避」を求めていたことが浮き彫りになった。竹下氏はリクルート事件で翌年に退陣を余儀なくされ、結果として石橋湛山氏以来の在職中に靖国神社参拝を見送った首相となった。首相の靖国参拝はその後、中国の対日カードとして使われている。
竹下氏訪中の準備の過程で作成された外交文書には、外務省が訪中実現に向け靖国神社の参拝を控えるべきだと考えていたことを示す箇所が複数あった。
昭和63年2月にアジア局中国課が作成した「極秘」の資料「竹下総理訪中 検討事項とり進め方」には「靖国神社公式参拝問題」の項がある。そこでは「昭和60年の中曽根(康弘)前総理による本件(参拝)実施を契機として中国側より激しい批判が寄せられたため、昭和61年及び62年には、総理参拝は実施されなかった」と指摘。その上で「総理の靖国参拝が行われれば、総理訪中自体も危うくなる可能性があるところ、右につき予(あらかじめ)め、内々官邸と連絡を密にしていく要あり」と明記していた。
さらに、4~6月に実施すべき準備作業を指すとみられる箇所には「靖国参拝が実施されれば、総理訪中自体が困難になる可能性がある旨を前広に官邸にインプットしていく」との計画も記されていた。