東京記者ノート

「障害者理解のために結果出す」パラ・マクファデン選手の覚悟

【東京記者ノート】「障害者理解のために結果出す」パラ・マクファデン選手の覚悟
【東京記者ノート】「障害者理解のために結果出す」パラ・マクファデン選手の覚悟
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 パラリンピック5大会で計17個のメダルを獲得した米国の車いす陸上女子、タチアナ・マクファデンさん(30)が11月、東京都世田谷区の区立総合運動場陸上競技場で開催された交流会に出席したのを機に、本紙社会面の企画「負けるもんか」で取り上げた。

 その際、取材で「スポーツで結果を出し続けているから、障害者差別撤廃を訴える私の声に社会が耳を傾けてくれるの」と静かに話してくれたことが印象に残った。発言の裏にトップパラアスリートに上り詰めるまでのマクファデン選手の苦悩を感じ取ったからだ。

 実際、マクファデン選手が歩んできた人生は壮絶だ。冷戦末期の混乱した情勢の旧ソビエト連邦で誕生し、経済的理由から孤児院へ預けられた。二分脊椎症(にぶんせきついしょう)による先天性下半身不随という重い障害を抱えていたが、孤児院では満足に治療も受けられず、車いすさえ与えられなかった。

 冷戦終結後の6歳の時、米国の政府職員として孤児院へ視察に来たデボラ・マクファデンさん(63)に出会って養子に迎えられた。初出場を果たした2004年アテネ大会の車いす陸上でメダル2個を獲得。希望に満ちた人生が始まるかに見えたが、米国での生活でも新たな壁が立ちはだかった。入部した高校の陸上部で、「車いすの走行は危険」との理由から、健常の生徒に交じって練習することを禁じられたのだ。

 障害者と健常者の練習の機会均等を求めて地元の教育委員会を相手取り訴訟を提起したものの、勝訴するまでの間、学校側からは健常の生徒が練習を終えた後の競技場で一人、練習させられたり、練習中にブーイングを受けたり、部員から仲間外れにされたりした。

 「高校生の私にとって本当につらい状況だった」。障害者に対する社会の偏見を解消する難しさを痛感したという。

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