虎番疾風録第3章

(83)長嶋獲得へ西武の熱き思い

西武優勝記念交歓会で握手する長嶋(左)と堤オーナー =昭和58(1983)年12月
西武優勝記念交歓会で握手する長嶋(左)と堤オーナー =昭和58(1983)年12月

 長嶋監督の「解任」に対する受け止め方は各球団さまざまだった。大阪・梅田の阪神球団事務所では、小津社長がしんみりとした表情で記者たちに囲まれた。

 「ご苦労さんの言葉しかない。実はシーズン中に長嶋君から秋のオープン戦の協力を頼まれたんだ。じゃぁ、君の顔を立てよう-とOKした。こんなことになったけど、快く受けたのがせめてものはなむけになった」

 「社長、長嶋さんが亡くなったわけじゃないんですよ」

 「おお、そうやった」と、笑いがでたものの、記者たちの気持ちも社長と同じだった。

 西武が動いた。「解任」が発表された翌日の10月22日、根本監督が長嶋邸に電話を入れ、長嶋本人に直接「監督就任」を要請したのである。

 西武といえばつい先日、元阪急監督の上田利治の招聘(しょうへい)を断念し、根本監督の来季「続投」を発表したばかり。いったい何があったのか…。実は長嶋監督の「解任」を堤オーナーが激怒したという。

 「いかん、絶対にいかん! 長嶋さんは日本の球界にとって、かけがえのない至宝なんだ。どんなことがあっても球界を去らせてはいけない。巨人が必要としないのなら、ウチでやってもらいたい。セ、パの違いなど小さな問題だ。これは球界全体の大問題だ」

 昭和53(1978)年オフ、クラウンライターから球団を買った際、堤オーナーは「西武ライオンズ」の監督に「長嶋」を希望した。もちろん、それは実現不可能。堤自身「巨人さんが手放すはずはないでしょうけどね」と笑うしかない夢物語だった。だが、状況が変わった。

 堤は根本監督を呼び、熱い思いを語った。根本もその熱意に打たれた。

 「わかりました。シゲ(長嶋)に譲るのなら、私はいつでもユニホームを脱ぎましょう」と長嶋招聘に全力を尽くすことを約束。そして22日朝、さっそく行動に移したのである。

 「西武百年の大計に君は欠かせない。たとえ来年が無理でも、再び君がユニホームを着る気持ちが起こるまで待つ」