話の肖像画

シンガー・ソングライター BORO(7)みんな「自分が一番」

BOROの自宅スタジオ。ここで楽曲が誕生する=神戸市北区
BOROの自宅スタジオ。ここで楽曲が誕生する=神戸市北区

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〈東京でデビューした関西出身のアーティストたちは、相次いで拠点を関西へ移し、独自の空気感を漂わせる音楽シーンが関西で形成された〉

河島英五と桑名正博は、ぼくが紹介したんです。桑名がぼくに「河島英五ってどんなやつや、会わしてくれ」って言うんですよ。阪神大震災(平成7年)の直後くらいのことです。正(まさ)ヤン(桑名)は「あいつ(河島)はギター一本やしな。オレはバンドやし」と言うんです。今はその意味が分かりますけど、当時は分からなくて。「オレらは苦労してる。バンドのメンバーとああだこうだといいながら苦労してサウンドを作りあげている。片や、ギター一本で全部もっていく。その感覚があわへん」と。で、2人が会うと、その化学反応がとてもおもしろかったですね。最初は反発している感じでしたが、慣れていったようでした。

やしきたかじんさんは、あいさつするくらいでしたが、上田正樹さんは、しょっちゅう曲作ったり、家に泊まったりしていました。キー坊(上田)が「オレ、曲書くわあ」「BORO、詞書いて」と。上田正樹さんは「BOROの詞は最高や」って言ってくれてましたから。

本人たちは子供のまま。見栄(みえ)もなにもない付き合いをしていました。だれもカッコつけず、エラぶってもいない。みんな、ライバルと思っていなかったと思いますよ。どっちかというと仲間意識が強かったですね。

〈BOROと上田正樹、桑名正博、もんたよしのりがそろい踏みしたあるコンサート。そのエンディング、個性がぶつかり合った〉

みんながステージに立って、ぼくは端っこにいました。でも「真ん中来いよ」と呼ばれて、ぼく、もんた、桑名の3人が真ん中に集まりました。でも、上田正樹さんがいません。みんな「キー坊、どこにいったんかな」と思いながら、演奏が始まりました。すると、もんたよしのりがぼくの前に出てきて「オー、みんないくでぇ」って。そのうち桑名がギターもってぼくの横で演奏するんです。「なんや、みんな目立ってるヤン」と。

ところで、「キー坊、どこにおんのかな」って思ってたら、ドラム台の上、一番高い場所で「みんな歌えっ」って指揮をし、一番目立っている。ぼくは笑いましたよ、これ関西やなって。東京の人だったら、横に並んでますよ。決められた所にいて、シュッとしてます。関西は、「おまえ真ん中いっとけ」という割には、もんたは真ん中にきてウワーって歌うてるし、桑名正博は横でギターのソロ始めるし。でも、みんなライバルではない、自分が一番やと思うてますからね。嫉妬心はありません。

〈平成27年、BOROは代表曲「大阪で生まれた女」の19~21番を新たに書き下ろし、トリビュート(尊敬する)アルバム「大阪で生まれた歌」をリリースした。その中には、相次いで鬼籍に入った河島英五、桑名正博、やしきたかじん、それに尊敬する先輩の上田正樹、その4人のヒット曲をカバーして盛り込んだ〉(聞き手 松田則章)

コンサート情報・チケットの問い合わせは、BOROの音符工房(0797・61・3399、ホームページへ。

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