朝晴れエッセー

母と短歌・11月23日

母と短歌との出会いは、ユーモアに富んでいる。

いつものように母は畑で父と農作業に精を出していた。近くの竹林から、真っ青な空に吸い込まれるような鶯(うぐいす)の鳴き声に、鍬(くわ)打つ手を止め、耳を澄ました。あまりの情景に、

「短歌にできたら良いだろうなあ!」と思った母は、傍らの父に「短歌は何文字で作るんだっけ」と尋ねる。「俳句の五・七・五の後に七・七を付ければえんだべ」と朴訥(ぼくとつ)な父の返答。「よし、やってみよう!」との思いに駆られ、何度も指折り、苦心惨憺(さんたん)。どうにかできあがったときの感動。72歳の出会いである。

農家に嫁いで40年。還暦を迎えた母を、少しは楽をさせたいと思っていた矢先、私の妻が9歳と5歳の娘二人を残し他界した。子育てのほとんどが母の手にかかった。

「この年で子育てはきづいな!」は、私の胸にずしりと堪えた。足腰の衰えは否めなかった。しかし、母は持ち前の明るさと忍耐力でわが家を支え、二人の孫をしっかり育ててくれた。

70歳を過ぎて短歌と出会い、母の心は潤い、人生を豊かにしてくれた。毎月の二首投稿に、辞書を片手に作歌にいそしむその姿は生き生きとし、何ともほほえましい。

米寿を迎えたときの記念に、娘たちと手作りの歌集を贈った。「八十路の節目に宝物を頂き、夢のようだ」とその喜ぶ姿に、少しは親孝行できたようで深い感動を覚えた。

卒寿を迎え、もう歌は詠めないから、と私に伝授。何とか重い腰を上げたものの、思うように任せず、母の指南でどうにか続いた。

母亡き今、何よりの贈り物と感謝しながらも、毎回の出詠(しゅつえい)に悪戦苦闘は続く。

水沢道博 69 秋田市