再興したのは江戸時代、第5代将軍、徳川綱吉のとき。当時在位していた第112代霊元天皇は譲位を申し出て、後を継ぐ東山天皇の即位に際し、大嘗祭の復興を幕府に強く望んだ。
当時の幕府は、国内統治に儀礼を重視しており、1687年、東山天皇の大嘗祭の挙行を認めた。続く中御門天皇の即位の際には行われなかったが、その次の桜町天皇から現代まで続いている。
◇
明治以降の大嘗祭では、亀の甲羅を用いた占い「亀卜(きぼく)」で決まる悠紀(ゆき)地方、主基(すき)地方の新穀だけでなく、「庭積(にわづみ)の机代物(つくえしろもの)」と呼ばれる農産物や海産物も供えられるようになった。
特に大正以降は全国から特産品が寄せられ、令和の大嘗祭では、47都道府県から3~5品ずつ野菜や果物、海産物の干物などが供えられる。
皇室文化に詳しい京都産業大名誉教授の所功氏は「庭積の机代物は自然の神々から賜る食べ物の豊かさを示す。大嘗祭は国民生活に不可欠な『食べ物の祭り』でもあることに注目してもらいたい」と話している。