書評

『昭和も遠くなりにけり』矢野誠一著

 ■いとおしさ覚える時代

 〈降る雪や 明治は遠くなりにけり〉は昭和6年、中村草田男の句だが、本書を読むと、昭和もまた、歴史になりつつあることがしみじみと感じられる。

 昭和10年生まれの芸能・演劇評論家の著者が、交流のあった文人、芸人たちを描いた近年のエッセーを収めた。俳優の小沢昭一は「生きてきた昭和という時代の記憶だけで充分商売していける」と言ったそうだが、ひとつの時代を生きた矜持なのだろう。著者が描くのも、デジタルでは割り切れない、アナログな手触りのある世界だ。

 銀行振り込みどころか〈いつもピン札の原稿料が現金書留で送られてきた〉時代が、生き生きと語られる。現代人が「電子マネーでキャッシュレスに」何でも手に入れることへの違和感を示唆するようだ。

 〈わが人生で最高の学舎だった〉という「東京やなぎ句会」は小沢や作家、タレントの永六輔ら12人が44年につくって以来50年、今も毎月例会が開かれている。落語家、作家、大学教授…創立メンバーは全員男、書記だけが女性、というのもいかにも昭和である。

 句会だから俳句も作るが、各人が持ち寄る噂話や悪口が無類に面白かったのだという。悪口がSNSで拡散することもなかった。その面々も、一人、二人と鬼籍に入り、今では著者と柳家小三治の二人になった。

 評論家として芸を外側から見つめ続けてきた著者は、かつて一般社会と、女遊びや派手な金遣いなど奔放無頼な生き方が許容される芸人世界の間には一線があった、と繰り返し書く。芸人たちは、ある意味差別された社会にいることをエネルギーに変え、芸を磨いてきたのだと。だがその一線も消え、「芸能人」にも〈世間的な常識が求められ、逸脱のぐあいによっては制裁が加えられる〉ようになってしまった。

 そう言われて振り返ると、元号をひとつ飛び越えた昭和は別世界の顔を持って見えてくる。現在と昭和の間にも、気軽に行き来できない一線が引かれつつあるということなのか。

 〈藝人ならばこそ許された生き方を包容してくれた昭和という時代に、いとおしさを覚えずにはいられない〉。遠くなったからこそ、見えてくるものもある。(白水社・2500円+税)

 評・瀬戸内みなみ(ノンフィクションライター)

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