父の教え

漫画家・弘兼憲史さん 動じぬ強さとダンディズム

スーツをさらりと着こなす弘兼憲史さん。ダンディーさは父の龍彦さん譲りか(三尾郁恵撮影)
スーツをさらりと着こなす弘兼憲史さん。ダンディーさは父の龍彦さん譲りか(三尾郁恵撮影)

 パリッとしたスーツ姿で、愛車の「マツダ ファミリア」を磨く男性。写真の裏には高度経済成長期だった「1966(昭和41)年?」とある。

 愛車を磨く男性は漫画家、弘兼憲史さん(72)の父、龍彦さんだ。「オメガの時計、ロンソンのライター、パーカーの万年筆といった『三種の神器』を愛用する、ハイカラ、おしゃれな人でしたね」と弘兼さんは振り返った。

 山口県美和町(現在の岩国市美和町)の地主の家に4人兄弟の次男として生まれた龍彦さんは、当時としては珍しい兄弟そろって大学卒で、寡黙でおっとりとした性格だった。

 「ダンディズムはあったけれどサラリーマンとしては絶対出世しない人だね。自己主張しない、会議でも発言しないタイプですよ。最終的にはガス会社の営業所の所長をやったけれど、郊外の、のんびりした所員3、4人くらいのところで、おやじは敷地でナスやキュウリとか作ったりして」

 当時、龍彦さんは50代。弘兼さんが描く出世街道まっしぐらのサラリーマン、島耕作とは全くタイプが違ったようだ。

 「僕もおやじに全然似てないよ。僕はおしゃべりでせっかちだからね」

 ◆一緒に映画、興奮

 教育熱心な母の常子さんは、小学生のころ、弘兼さんを学習塾に通わせ、家庭教師や英語教師もつけた。

 一方、龍彦さんからはうるさく言われたことがない。

 「怒られたのは、父が大切にしていたレコードをフリスビーのように投げ飛ばして遊んだときくらいですよ。おふくろよりおやじのほうが好きでしたね」

 趣味人で、勉強しろと言うよりむしろ、幼い弘兼さんを外へ遊びに連れ出した。

 幼少のころ暮らした山口県防府市で連れて行ってもらったのは映画館。「駅馬車」「硫黄島の砂」「荒野の決闘」など、スクリーンに大写しになる決闘や戦争の臨場感に、当時の弘兼さんは興奮を覚えた。「家に帰ると、広告の裏に、興奮冷めやらぬまま(西部劇のスター俳優)ジョン・ウェインの顔を描きましたよ」。裏紙がなくなると、さらにちり紙をもらって、思うまま描き続けた。

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