緒方貞子さん「信念の人」 徹底した現場主義貫く - 産経ニュース

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緒方貞子さん「信念の人」 徹底した現場主義貫く

 【ニューヨーク=上塚真由】1991年から約10年間、日本人として初めて国連難民高等弁務官事務所(UNHCR)のトップを務めた緒方貞子さんが亡くなった。小柄な体に防弾チョッキを着用して世界各地の難民の現場を飛び回った。国連では今も、徹底した現場主義の仕事ぶりが語り継がれている。

 緒方さんが国連難民高等弁務官に就任してすぐ対応に当たったのは、91年のクルド難民危機。湾岸戦争が勃発し、イラク内で迫害を受けたクルド人勢力がイラクとトルコの国境地帯に滞留したのだ。

 国際条約上、国境を越えなければ難民として支援できないが、このとき、UNHCRの幹部職員の反対を押し切り、イラク国内でのクルド人への支援を決断した。「人の命を守るのが最優先」と揺るがない人道主義を貫いた。

 当時、東洋人女性のトップの就任に懐疑的だった職員らの評判は瞬く間に変わり、UNHCRの組織としての国際的評価も高まっていくきっかけとなった。

 冷戦が終結した後の90年代は、地域紛争とそれに伴う人道危機が多発した時代でもあった。スイス・ジュネーブのUNHCRの本部を離れ、1年の半分以上は海外視察にあて、旧ユーゴスラビアからの独立を目指したボスニア紛争、アフリカのルワンダ虐殺で発生した難民の支援にも奔走。紛争当事者を相手に回してのタフな交渉力で知られ、難民が急増した困難な時代に支援活動を指揮し、国際的な尊敬を集めた。

 日本人女性の国際社会進出の先駆け的存在でもある。UNHCR時代の部下で、緒方さんを「仕事上の師」と仰ぐ国連軍縮担当上級代表(事務次長)の中満泉さんは、「いつも難民の人たちの利益を第一に考えている信念の方だった。私だけでなくて国連には、緒方さんから影響を受けた人がたくさんいて、みんな尊敬している。大きい人です」と語った。

 2014年に元日本開発銀行副総裁で夫の四十郎さんが亡くなってからは、気落ちした様子が見られるようになったという。

 中満さんは訪日すると緒方さんに連絡をとり、近況を報告していた。「明日(29日)から日本に行く予定で、着いたらいつものように電話しようと思っていた。間に合わなかった。ショックです」と話した。