緒方貞子さん死去 難民の時代に現場主義貫く「日本はもっと役割を」 

 緒方貞子さんを初めて取材したのは1976年に日本初の女性国連公使に選ばれた際の歓送会だった。送る女性たちの方が「快挙」と興奮気味で、緒方さんはむしろ淡々と抱負を語っていた。幼少の頃から国際環境の中で育ち、国連といえども平常心の対象だったのだ。

 そんな緒方さんが生涯でもっとも力を発揮し、また輝いたのは、やはり国連難民高等弁務官時代(91~2000年)だと思う。米ソ冷戦の終焉(しゅうえん)は民族紛争の激化を招き、就任前の1980年代に500万人の難民は退任までには2200万人に膨らんだ。まさに難民の時代の始まりだった。

 緒方さんはジュネーブ事務所を飛び出し、一貫して現場主義を貫いた。迅速な決断と行動力、明快なリーダーシップ。防弾チョッキにヘルメット姿で紛争現場に臆することなく入る緒方さんを、欧米メディアは「小さな巨人」と感嘆したものだ。

 現場主義は女性初の理事長となった国際協力機構(JICA)でも踏襲された。理事長職は、国連難民高等弁務官事務所(UNHCR)トップとしての業績や若いJICA職員たちの熱い要望があったからだったが、自身も日本に期待するところが大だった。

 本紙「私が選んだ20世紀の十大ニュース」(平成12年8月20日付)のインタビューで緒方さんは「日本は人道的な役割で大きな役割を果たしてもらいたい。他に(日本の)生きようがあるでしょうか。もっと大きなところで世界的取り組みをしてもらいたい」と述べている。

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