話の肖像画

映画監督・是枝裕和(57)(7)学校側ともめた教育実習

本当に教員免許を取るつもりなら、先生方とケンカをしたら取れないから、ちゃんとやればいいのかもしれないけれど、とにかく許せなかった。学校とはもめにもめて、最後は始末書まで書かされた。実習が終わった後に謝りにも行きました。国語を教えていましたが、授業そのものは楽しかったんですけれどもね。教師という集団の閉じられた空間にある、この教師たちの嫌らしい感じが耐えられなかったんです。

〈「進研ゼミ」の赤ペン先生のアルバイトをしていた縁で「福武書店」(現・ベネッセコーポレーション)の入社試験を受け、内定をもらっていた〉

大学時代は映像をやりたいという気持ちの一方で、ものを書きたいという気持ちも捨てていなかった。福武書店に入って文芸雑誌「海燕(かいえん)」の編集をやりながら、小説を書こうかなと思っていました。それから「海燕新人文学賞」を取って、芥川賞を取って、会社を辞めて、という青写真を勝手に描いていた。

でも、憧れていたテレビマンユニオン(日本初の独立系テレビ番組制作会社)に受かっちゃったんですよ。それに、福武書店に入社しても「海燕」の編集部に入れるかどうかも分からなかったですしね。

(聞き手 水沼啓子)

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