朝晴れエッセー

なぜ山に登るのだろうか・10月14日

鳥海山に登った。秋の夜明けの冷たい空気を肌に感じながら登り始めた。ダケカンバの葉は少し先が赤くなったぐらい。チングルマの草紅葉もまだ始まっていない。

延々と続く登山道の石畳や木道を、これを敷くのにどれだけの労力が必要なのだろうか、と敬服しながら登っていく。

脚力が弱く、歩くのが遅い私は颯爽(さっそう)と歩く山ガールたちに先をこされる。仕事を忘れ、家族を忘れ、色々なことを忘れてしまうことを忘れて黙々と登る。

登山道の石の間からオコジョがひょっこりと姿を現して、つぶらな瞳でじっと私を見つめる。私もじっと見つめ返して前に進めない。

高度が上がり、登山道が急になり、息が上がって次の一歩まで時間がかかる。頂上直下の神社に到着する。やっと到着したという思いと、まだ余力があるなという思いが半々。季節柄閉じてしまった扉の前に百五円の賽銭(さいせん)を置いて参拝する。安全を祈願する予定だったが忘れてしまった。

神社の脇に座って紺(こん)碧(ぺき)の空にそびえる溶岩ドームを眺める。もう数十メートル岩をはい登れば三角点のある頂上だが、私は目がまわって滑落すると、他の登山者に迷惑を掛けるので登らない。

立ち上がって下山を始める。仕事のことを思い出し、家族のことを思い出し、月曜日にやらなければならないことを思い出す。コロッケパンと缶コーヒーの朝食は下山の途中で食べることにしよう。きっと明後日は、太腿とふくらはぎが痛いだろう。

柴田 勉 62 秋田県由利本荘市