野球を愛する者に優しく 永遠の記録刻んだ金田正一さん

記念撮影をする(左から)王貞治、金田正一、長嶋茂雄=昭和54年
記念撮影をする(左から)王貞治、金田正一、長嶋茂雄=昭和54年

 ずいぶん昔、王貞治さん(現ソフトバンクホークス球団会長)との間で「プロ野球永遠の記録は何か」という話になった。

 「王さんの868本塁打でしょ?」と水を向けると王さんは、かぶりを振りながら言った。「けどな、カネさんの400勝なんて、あり得ないだろっ」

 偉大な選手、金田正一さんが逝った。今年7月、心筋梗塞で入院した。大丈夫だと聞いていたが…。

 改めて成績を調べた。入団2年目(1951年)から14年連続20勝以上、投球回数は5526回3分の2、奪三振4490。伝説の投手・沢村栄治を肌で知る青田昇さんに聞いたことがある。「日本一は沢村や。けどホンマは金田の方が上やったかもな。スピードもあった。変化球は2階から落ちてきたぞ。カーブやない、落ちるドロップやで」

 長嶋茂雄さん(巨人軍終身名誉監督)のプロデビュー戦は1958年の国鉄戦(現ヤクルト)。マウンド上は金田さんだった。

 「(東京六大学で活躍し)プロでも楽勝と思っていたけど、カネさんの前に4打数4三振。鼻っ柱を折られた。あれで目が覚めて練習したんだ」

 ミスターは新人の年に2冠(本塁打王、打点王)に輝き、やがて国民的スターになったが、金田さんはその始発点となったわけだ。

 10年選手制度(いまのFA制度と同じ)で巨人に移籍。当時監督の川上哲治さんは「あれだけの選手がとにかく走る。手本だ」と驚いた。大投手の猛練習は長嶋、王に伝染し、チーム全体に広がった。一方で食事にも気を遣うなど自己管理を徹底。V9(65~73年)の礎は金田さんが築いたといっていい。

 ロッテ監督時代には試合前、必ずベンチ前に現れて「やったるでぇ~」と叫んでお客さんを巻きんでいた。当時セ・リーグに対してパ・リーグは不人気だった。時には乱闘も辞さない立ち回りで人気を博していたのを思い出す。

 筆者はその頃、駆け出しの日本ハム担当記者。金田監督から「ハム担当か。ま、みんな行くぞ」と何度も食事に誘われた。誰にも分け隔てなく、野球を愛する者に優しかった。(清水満)

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