朝晴れエッセー

62本のバラ・10月5日

がんを宣告されて入院していた父の看病のために、毎週土曜日、山梨から実家の山形まで通っていたときのことです。

昼過ぎに職場を出て、父の居る病院に着くのは夜の8時過ぎでした。一晩病院に泊まって日曜日の昼過ぎには帰途に就きます。毎週通うには少し遠すぎる実家。それと同じくらい大変だったのが旅費でした。

私は働き始めて10年近くたっていたので何とかやりくりできたのですが、弟は働き始めてまだ幾年もたっていません。東京から毎週通うのはさぞ大変だろうと、そっと「旅費にして」と小遣いを渡しました。

にっこりうなずいて受け取った弟は次の土曜日、父の誕生日祝いと言って、62本の真っ赤なバラにかすみ草を添えた大きな花束を両手に抱えてやってきました。あげた旅費のほとんどはバラの花に変わってしまいました。

大きな花瓶に生けられた62本の真っ赤なバラは、重苦しい病室を一変させました。痛みと闘い続けていた父の顔は、バラを見て笑顔に変わりました。

しかし、2月で暖房がしっかりと効いた病室では、頻繁に水を替えてもバラはどんどん枯れていきます。父が悲しまないように、私は毎週バラをつけ足しました。父に気づかれないように。

「この部屋のバラはいつまでも枯れないね」と、看護婦さんが父に話しかけると、満面の笑みを浮かべてうなずいていました。そんなことを3週間続けて、父は逝ってしまいました。

あれから30年。ドライフラワーとなった62本のバラの花は、色を失い、茶色のかたまりとなりながらも、実家の洋間で存在感を放っています。

藤本幸子 66 山梨県都留市