「1秒、1センチを大切に」
座右の銘は、救急現場で培った35年の経験から導かれた。
一刻を争う救急活動の現場では、微細な誤りも致命的になりかねない。全ての作業に神経をとがらせるため、自分自身に言い聞かせてきた。凄惨(せいさん)な自動車事故の現場を何度も目にするうち、1秒早く、1センチ手前で止まれば事故は防げるという思いも込めている。
出動件数は約2万4千件にのぼり、その中でも子供が関係する現場はいつまでも脳裏に焼き付いている。
10トン以上あるトラックに子供がひかれ、下敷きとなった事故では母親も救急車に同乗した。母親は病院に着くまで泣き叫んでいた。
子供は自分の娘と同世代。救命処置を続けながら自分も子の親であることを強く自覚した。「親の気持ちを思うと、胸が張り裂けそうになった」
事故や火事などの現場に出動する救急は「死と直面する仕事」だが、生命の力強さも目にする。出産の介助をした際に新生児が心肺停止の状態になったが、人工呼吸と心臓マッサージで呼吸を取り戻した。「小さな命が息を吹き返したときの感動は忘れない」
中学時代に校舎近くの消防署から出動していく消防官の姿に憧れを抱くようになった。そして高校生として進路を考えているとき、実家の電器店でなじみの客だった東京消防庁の職員から「消防に入らないか」と声をかけられ、憧れが決意に変わった。
40年を超える消防官人生は、来年春に定年退職を迎える。振り返れば、人命を左右するという重圧がかかった現場の連続だったが、辞めたいと思ったことは一度もない。
「とても重く大変な仕事。だからこそ、やりがいがあり、やりきったと思う」
(吉原実)
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【プロフィル】増田利夫(ますだ・としお) 茨城県出身。昭和53年東京消防庁入庁。向島署、千住署などを経て、平成23年から王子署。妻の紀子さん(55)、2人の娘と4人暮らし。妻と共通の趣味でもあるゴルフの愛好家で、月に数回はゴルフ場へ足を運ぶ。