虎番疾風録

ファンの巨人離れ、読売に大打撃 其の参76

虎番疾風録 其の参75

長嶋監督「解任」への流れは、Aクラスや貯金1ぐらいの材料では、もう止めることはできなかった。「要因は幾つもあった」と当時、巨人担当だった清水満先輩はいう。

まず第1は、巨人の母体である読売新聞や傍系の報知新聞の部数が大幅に減ったこと。〝販売の神様〟といわれた読売新聞の務台社長(当時)にとって、ファンの巨人離れ、読売離れは大きな打撃だった。

そして第2は、日本テレビの巨人戦の視聴率が落ち込み、これまで巨人戦の中継に順番を待っていたスポンサーも次第にそっぽを向くようになったことだ。

なんとかしなければ…。両社の出した結論は「長嶋監督のままでは巨人は勝てない」というものだった。昭和55年、巨人は1点差試合で16勝33敗。1点差試合の勝敗は監督の力量が反映される―といわれ、長嶋監督の力量にも疑問符が付けられたのだ。そして、日本テレビの小林社長(正力オーナーの義弟)が正力オーナーへ「長嶋君を辞めさせない限り、協力はできない」と詰め寄った―といわれている。

「正力オーナーが20日の夜、長嶋さんに電話で〝すまない。辞めてもらうことになった〟と伝えたんだよ」

10月21日「長嶋解任」のニュースはあっという間に日本中を駆け巡った。ここからは「ドキュメント」的に追ってみよう。

【午前3時過ぎ】東京・田園調布の長嶋邸に各社の巨人担当記者たちが集まりはじめ、午前5時30分頃には約100人が集合した。

【午前6時55分】報道陣を代表してニッポン放送の深沢アナが電話でインタビュー。寝室で受話器をとった長嶋は「もはや流れは決まってしまったようだ。せっかく若手が育ってきているのに、いまやめるのは残念。無念でしかたがない」と話した。

【午前11時53分】長嶋邸。インターホンを通じて「オーナーの指示を待っている。あり次第出かけます」の声。

【午後1時12分】東京・大手町の球団本部。「午後3時から役員会。午後5時にオーナーが会見を開く」と広報。

【午後3時55分】長嶋監督がセンチュリーで本社へ向かう。「みなさん、向こうで会いましょう!」。いつもの明るく元気な長嶋監督の声が響いた。(敬称略)

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