朝晴れエッセー

髭剃り器の臭い・9月28日

あれは父親が亡くなる1年前の夏のことだった。最後の家族旅行になるかもしれないからと、母親が急遽(きゅうきょ)計画して、家族5人で1泊旅行に出かけた。兼業農家で忙しかったからなのか、最後といっても初めての家族での泊まりがけの旅行であった。

胃の手術をしてげっそり痩せてしまった父を助手席に乗せ、父の体調を気遣いながら2時間余りドライブし、山の中の小さな旅館に到着した。

父はさほど食べられない体であったが、早く元気になりたいと、焼かれた川魚をおいしそうに平らげ、皆が心配したが久しぶりにビールも少し飲んで、上機嫌であった。

翌朝「髭剃りを忘れた」と父が言うので私のものを貸すと、バリバリバリと気持ち良さそうに使っていた。二十歳を超して間もないその頃の私にはない爽快な音で、「大人になると大変だなあ」と感じたのだった。「すっきりした」と返してもらい、次は私が剃ろうとした瞬間、何とも言えない汗や皮脂の臭いが鼻をついた。「おえっ」っと、吐き気がするのを抑え、なんで髭剃りを持ってこなかったのかと怒りを覚えつつ、父に悟られないように息を止めて剃ったのだった。

あれから私もあの時の父の年に近づき、気づかない内に、髭剃り器が父の臭いそっくりになってきた。嫌な臭いだと思いつつ、髭を剃るたびに父のことを思い出す。夏になると、洗面所にプーンと漂うその臭いに、「妻よ、子供たちよ、これがオヤジのにおいなんだ、ごめん」と心の中で叫び、目を閉じる。

原田 満 47 神戸市灘区