虎番疾風録

4球団の誘い断り、阪急復帰 其の参73

虎番疾風録 其の参72

上田利治の「阪急」復帰が10月14日、正式に発表された。夕刻に大阪・北区角田町の電鉄本社で会見を開いた山口オーナー代行は満面に笑みを浮かべていた。

「1週間ほど前に監督就任をお願いし、13日にOKの返事をもらった。野球は人気商売。ブレーブスは常に燃えていないといかん。このまま“灰色”になってはいかんのです」。昭和30年代、なかなか勝てなかった時代に「灰色の阪急」と言われた。その悔しさを知る山口だからこその言葉だった。上田も東京で会見を開き、復帰への心境を語っていた。

「阪急には思い入れがあるし一番愛着がある。銭金抜きでもう一度、泥にまみれようと思う」

上田が古巣への復帰を決断したのは、1本の電話からだった。10月6日のことである。その日、上田は監督就任を要請されていた中日の堀田球団社長と会っていた。夕刻、自宅に帰ると夫人から、阪急の梶本監督から電話があったことを知らされる。シーズン中もときどき、梶本の悩みごとを聞いていた上田はすぐに電話を入れた。すると…。

「ウエさん、阪急を立て直すのは、あなたしかおらん。ユニホームを着る気持ちがあるんなら、もう一度、一緒にやろう」

上田から「監督」を引き継いでわずか2年。自らコーチ降格を宣言してまで上田の監督復帰を懇願した梶本の「心」に上田は感激した。そして、西武、中日、南海…と誘ってくれたすべての球団に断りを入れたのである。実は阪神も声を掛けていた。だが、どの球団よりも上田に“その気”はなかったという。

阪神が初めて上田に声を掛けたのは44年オフ、村山実が現役兼監督に就任したときだ。関大時代のバッテリー、しかも広島を退団した直後。村山は直接会って「オレを助けてくれ」と友情にすがった。だが、上田はその誘いを断った。周囲に「将来、監督に」の声もあり、村山の下に入ることを良しとしなかったのである。さらに上田の相談役だった鶴岡御大が大の“阪神嫌い”だったことも大きく影響した。

「親分(鶴岡)は、フロントや本社の人間がすぐに現場に口を出す阪神の体質が嫌いでなぁ。2度も監督要請を断った。44年も鶴岡さんに断られて村山さんが監督になった。ウエさんとは縁がなかったというこっちゃ」。平本先輩の解説に納得した。(敬称略)

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