虎番疾風録

監督やコーチの思惑絡み合い 其の参72

虎番疾風録 其の参71

「16日にはどちらかが折れるでしょう」―。微妙なニュアンスに変わった中西発言。名古屋駅に着いた筆者はすぐ、公衆電話で編集局の平本先輩に伝えた。

「龍一のいう通り、なんかおかしいな。何が何でも身を引くという断固としたものが感じられん」

〝師匠〟と仰ぐ平本が同じ感触を持ったことがうれしかった。

「慰留されたから、考え直してもう一度―なんてとんでもない。そんな優柔不断なことじゃ監督は務まらない。球団に一任するのなら、17日の最終戦まで黙っていて、軽率な辞意など口にすべきじゃない。阪神はいつも軽率な一言や動きが騒ぎの元になっている」

一転、残留もあり得る。いや、すでにその方向へ動いている―。記者たちの裏取り取材は激しさを増した。

10月14日という日は各球団でも動きがあった。日本ハムが大沢監督の留任を発表。上田から「監督就任」を断られた西武も根本監督の続投を発表した。

「根本さんもホッとしとるやろ」というのが平本の感想だった。根本と平本は法大野球部の先輩と後輩。「やっぱり、監督をやめたくないからですか?」と聞くと、首を横に振って笑った。

「根本さんはどうしても広岡さんを自分の後の監督にしたいんや。だから、ウエさんが西武を断ってくれてホッとしとるんよ」

根本と上田との関係はけっして〝良好〟ではなかったという。昭和42年、根本が広島のコーチに就任したとき、12歳年下の上田は最年少コーチとしてすでにカープにいた。根本が監督に昇格し44年オフ、法大時代にチームメートだった関根や元巨人のスタープレーヤー広岡をコーチに招くと、上田は広島を去った。

「根本さんも堤オーナーから〝上田さんを監督に〟といわれたら逆らうわけにはいかんかった。けれど、これで1年間じっくりと、広岡さんが自分の後継者である―と、オーナーを説得できるというわけや」

広島を去った上田は45年オフ、阪急の西本監督の誘いでヘッドコーチに就任。「阪急の知将」への第一歩を踏み出した。広岡は根本監督の工作で56年オフに西武の監督に就任。「常勝西武」を築く。選手やコーチ、監督の〝運命〟が複雑に絡み合うプロ野球。だから、おもしろい。(敬称略)

虎番疾風録 其の参73

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