話の肖像画

国連軍縮担当上級代表(事務次長)・中満泉(56)(7)緒方さんから学んだ決断力

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〈日本人として国連機関で活躍した先駆者として広く知られているのは2人だろう。国連難民高等弁務官を務めた緒方貞子さんと、1957年に日本人として初の国連職員となり、国連事務次長などを歴任した明石康さんだ〉

お二人には若手のころから大変お世話になっています。緒方さんと出会ったのは今から30年近く前のことですが、それ以来、私にとってはロールモデル(模範となる人)のような存在になりました。

〈1991年の湾岸戦争勃発時、イラク内で迫害を受けた大量のクルド人が国境地帯に立ち往生した「クルド難民危機」では、難民支援のためにクルド人が国境線を越えてトルコ領土内にいるかが大きな焦点となった。条約では国境を越えなければ難民と定義されないためだ。だが緒方さんは、国際的な原則を重視する幹部職員らを説き伏せ、イラク国内でのクルド人への支援活動を決断したのだ〉

緒方さんにはよく「官僚になってはいけない」といわれました。すなわち、これまでこうだったから、前例通りにこうしましょうというのはよくない。問題を解決するためには何をしなければならないか、根本的なところで考えることを貫いた方でしたね。

拡大解釈していうと、法律の文言をみるのではなく、法律ができた理由や精神を実際に実現するために何をするかを考える。クルド難民危機への対応も、できるだけ多くの人命を救うため、厳密な法律解釈ではなく、現実的な決定をしたのです。緒方さんのこの決断によって国連による支援活動は大きく前進しました。

緒方さんに何げなくいわれたことが今も心に残っていて、自然といろんなことを教わったという気がしています。最近はお会いする機会が減りましたが、電話で話したりとずっと連絡を取らせてもらっています。

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