地方は滅びず 逆転のモデル

KIMONO(2)「われこそは」職人魂に火が付く

【地方は滅びず 逆転のモデル】KIMONO(2)「われこそは」職人魂に火が付く
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 ■「ありきたりのデザインは期待しない」

 「咲き誇る南アフリカの花を美しく描きたい。それには、先生しかいらっしゃらないんです」

 平成26年5月中旬、京都市。福岡県久留米市の呉服店、蝶屋の3代目社長、高倉慶応(よしまさ)(51)は力説した。目の前には、染め師の松田徳通(のりみち)(72)がいた。

 高倉は世界各国・地域をモチーフに着物を作り、2020年東京五輪・パラリンピックでの披露を目指す「KIMONOプロジェクト」を始めた。

 着物産業の火を守ることが目的であり、全国の産地、職人に手を挙げてもらわなければならない。「こういう物を作る」というシンボルが、必要だった。

 高倉はまず、ブラジル、ブータン、リトアニア、南アフリカ、ツバルの着物を作ると決めた。ブラジルが高級絹糸の産地であるように、いずれの国も衣料や日本とつながりが深く、平和や友好などのメッセージを強く打ち出せると感じた。

 次は、頼む相手を決めなければならない。高倉にとってプロジェクトは、「着物の美」を表現する場でもあった。

 「最高の作家に頼みたい」。その一人が松田だった。松田は繊細な染色で、華麗な花を描く。市場の評価は高く、何より高倉が大ファンだった。

 松田に依頼する国は南アフリカで、題材は花と決めていた。同国の砂漠地帯に、1年のうちわずか2週間ほど咲く花だ。

 「この多種多様な花は、アパルトヘイトを撤廃し白人と黒人の壁を乗り越えようとする南アフリカの象徴なんです」

 松田は南アに行ったこともない。不安もあったが、それ以上に制作欲がかき立てられた。「すごいことだね。ぜひ、やろう」

 着物の絵柄の技法は、大きく2つに分かれる。絵画のように染料を使う「染め物」と、色の違う糸を複雑に織り込んで幾何学模様を生み出す「織物」だ。

 松田は染め物の中でも、「ローケツ(蝋纈)重ね染め」を専門とする。

 京都府亀岡市の工房でまず、下絵に取りかかった。現地に行く時間はない。ネットや図鑑、旅行ガイドで情報をかき集めた。

 1カ月後、和紙の下絵が完成した。

 紫色のジャカランタは肩口から垂れるように、大輪のプロテアは裾に配置した。着物の花の配置には、常道がある。松田は南アの花の形や色から、伝統的な構図を守りつつ、新たな絵柄を目指した。

 「素晴らしい」。下絵を見た高倉は、一言絞り出すのが精いっぱいだった。

 松田の真骨頂はここからだ。

 真っ白な生地に、染料を筆で何度も塗る。違う色を重ねることで、目指す色に近づける。その際、他の部分ににじまないように、ロウ(蝋)を使う。

 美しい花を咲かせるには、微妙な色使いが必要だ。例えば紫色の花でも影の部分は少し暗く、光が当たる部分は明るくなる。松田は持てる技術を注ぎ込み、脳内のイメージを生地に写した。

 普段の仕事より、数倍の手間をかけた。楽しかった。高倉の志への共感、五輪の舞台への期待、何より、新たな表現への挑戦に心が躍った。

 26年10月ごろ、着物が完成した。ほのかに紺色がかった黒い背景に、花と葉が鮮やかに揺れていた。南アフリカの花園がそこにあった。

 「これからも職人を続けるから、集大成とするわけにはいかない。それでも、生涯随一の作品だ」。松田は高倉にこう告げた。

 ■老舗への宿題

 京友禅の染元、千總(ちそう)のチーフデザイナー、今井淳裕(43)=現・商品企画部課長=は、難題に頭を抱えていた。

 高倉は千總に、ブラジルとブータンの着物を依頼し、こう付け加えた。

 「ブラジルといえばサッカー、といったありきたりのデザインは期待していません。安直に国旗の配色を使うことにも反対です」

 千總は戦国時代の弘治元(1555)年に創業した。その着物は「京友禅の教科書」と賞される。

 高倉はそんな千總に「看板に恥じず、新鮮さを感じさせる着物」という宿題を出した。伝統の上に革新を重ねる。「それができなければ着物産業は生き残れない」。そんなメッセージだった。

 今井はブラジルの自然をテーマに、「花丸(はなまる)紋と鳳凰(ほうおう)」という答えを出した。

 花で円を描く花丸紋と、鳳凰は王道のモチーフだ。ブラジルの花を描き、同国を代表するインコやオオハシを鳳凰に模した。

 下絵はうまくできた。だが何かが足りない。100点満点かといえば、95点ぐらい。今井はもやもやを抱えながら、高倉に見せた。

 「今井さん、文字って入れられないかな?」

 高倉はつぶやいた。ブラジル人のおしゃべりなイメージからだった。

 「文字か!」

 今井の心の霧が晴れた。ポルトガル語で「頑張れ」を意味する「Boa sorte」と、袖の部分に入れた。この創意工夫で、新鮮味がぐっと増した。

 26年10月ごろ、完成した2カ国の着物が千總本社で披露された。「すごいものができたな」。皆がどよめいた。

 完成した5着にカタールを加えた6カ国の着物が26年11月8日、東京の日本橋三井ホールで披露された。

 全国の着物関係者が集まる「きものサローネin日本橋」の会場だった。

 「今はまだ6カ国ですが、日本の着物文化を発信したいと思っています。ご協力をお願いします」

 呼びかける高倉に大きな拍手が送られた。その後の反響は予想以上だった。

 高倉は、米国やヨーロッパへのイベント出演を決め、多数の職人に依頼することにした。その際、一つのルールを定めた。

 人間国宝級のベテランだろうが、新進気鋭の職人だろうが、支払う制作費は着物・帯あわせ一律200万円とする。

 過去の作品は関係なく、同じ土俵ででき映えを比べられる。「われこそは」と思う職人は、腕試しの機会と受け止めた。

 ■前を向いて失敗

 「本場大島紬(つむぎ)織物協同組合」(鹿児島市)に所属する中江絹織物の中江久人(48)も、職人心を刺激された。

 大島紬は、奄美を中心に1300年の伝統を持つ織物だ。絹糸を使い、生地を一枚一枚織っていく。温かみのある風合いと、着心地の良さが評価されてきた。

 だが生産数は、最盛期の1%強にまで落ち込み、火は消えようとしていた。中江らも知名度アップに努力したが、打ちのめされてばかりだった。

 それだけに、五輪を目指すというスケールの大きさが胸に刺さった。

 平成28年夏、手を挙げた中江に割り当てられたのは、アフリカのタンザニアだった。中江は同国大使館とやりとりし、サバンナをメインの絵柄に決めた。

 大島紬の模様は同じ柄を繰り返すことが多い。今回は、点の集合で絵を描く「点描」のような作業を、はじめから終わりまで、やらなければならない。数倍の手間がかかる。

 中江は糸の染色まで担い、織るのはキャリア50年の村上美智代(70)に任せた。

 草原の部分から手を付けた村上が叫んだ。「久人さん、柄が死んでるわよ」

 大草原を歩くキリンのシルエット。中江は、濃淡や明暗が異なる緑色の糸を組み合わせることで、柄を浮き出させようとした。作家として新たな挑戦だった。

 織ってみると、柄はほとんど見えなかった。

 やり直しだ。

 糸をほどき、染め直すのは時間がかかる。村上の仕事もその間、進まない。

 それでも、最高の一着を仕上げるために、妥協はしたくなかった。

 前を向いての失敗は、成功の糧になる。中江はシルエット部分の糸を、少し暗い色に染め直した。村上が織ると、柄が浮き出た。

 五輪開催地の東京でも、プロジェクトへの熱は高まる。東京都工芸染色協同組合の副理事長、岩間奨(すすむ)(67)が窓口役になり、高倉と手描き友禅の職人をつないだ。

 当初、岩間は疑った。高倉とは付き合いがなかった上、制作費などの条件が良すぎると感じた。「裏があるんじゃないか」と勘ぐった。

 それでも、千總などによる着物を目にし、高倉への信頼が生まれた。

 岩間は、組合員を対象にした説明会を、高倉に依頼した。28年秋だった。約50人の組合員中、岩間を含む30人がプロジェクトに参加した。

 前例のない仕事は、軋轢(あつれき)を生む。ある職人は、当該国の大使とのやり取りに憤慨した。

 「工房に大使が来て、資料をカラーコピーしろとか、面倒くせぇ注文をするんだよ」

 そんな職人も、完成品が大使から絶賛されると、態度は一変した。カメラマンに頼み、着物と収まった写真を手に、満面の笑みで岩間に話しかけた。「また、やりてぇ仕事だよ」

 高倉のKIMONOプロジェクトは、各地の職人の魂に火を灯していった。 (敬称略)

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