虎番疾風録

「不振の責任」中西監督、苦渋の辞任決断 其の参68

虎番疾風録 其の参67

近鉄優勝の余韻もなにもあったもんではない。翌日の10月12日、筆者は朝一番の新幹線で阪神の遠征先である名古屋に向かっていた。その日、日刊スポーツが1面で『中西監督、辞任』のスクープを放っていたからだ。ニッカンが報じたことに意味があった。

プロ野球のスター選手は引退すると、指導者として球団に残る以外は、ほとんどの選手がテレビ局やスポーツ紙と「評論家契約」を結ぶ。評論家の仕事は大きく2つある。試合の評論と球界情報を入手すること。特に〝人事〟に関する情報だ。各スポーツ紙が競って「将来の監督候補」といわれる選手を抱えるのもそのためである。中西監督は元ニッカンの評論家。それだけに「辞任」のスクープには重みがあった。

「龍一、お前は試合が終わったら太(ふと)っさんの徹底的マークや。四六時中、監督のお尻についとれ。まかれるなよ」

「は、はい!」。キャップからの指令に身が引き締まった。

ことの起こりは11日、後楽園球場で行われた巨人との最終戦が終わった夜のこと。阪神の岡崎球団代表は都内で中西監督と会合を持った。来季のコーチ陣や外国人選手の処遇などを話し合うためだ。当然、「留任」が前提の話である。ところが、中西監督の口から出たのは「成績不振の責任を取りたい」という辞意の表明だった。

もちろん岡崎代表は慰留に努めた。だが、中西監督の決意は固い。「とにかく、小津社長と話し合ってくれ。結論を出すのはそれからにしよう」という代表の説得で、その夜は結論を「保留」して終わった。

それにしても、担当1年目で2度目の監督交代劇とは…。けが人は続出するし〈ボクが虎番になったせいやろか〉と悲しくなった。いや、落ち込んでいる場合ではなかった。

12日、中日との試合が終わり、中西監督はベンチで心境を語った。

「勝てなかったという責任は取らねばならない。逃げるつもりはない。代表からは“社長と会ってくれ”といわれたが、いまは会えない。申し訳ないが、会うのがつらいんだ」

その表情は苦しさでいっぱい。〈ほんまに辞めたいんや…〉筆者は中西監督のあとを追いかけ、選手宿舎へと向かった。(敬称略)

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