虎番疾風録

ファンの手で「68」は宙に舞った 其の参67

虎番疾風録 其の参66

日本ハムとの〝決戦〟に勝利した近鉄は一気に「優勝」へと突き進んだ。10月8日、敵地での西武戦に5-1と快勝。逆転優勝へ「あと1勝」とし、11日の後期最終戦に臨んだ。

◇10月11日 藤井寺球場

西武 003 001 000=4

近鉄 000 061 12×=10

(勝)鈴木14勝9敗 (敗)根本1敗 (S)柳田13勝9敗7S

(本)蓬莱(2)(鈴木)、石渡(8)(根本)(9)(木村)、マニエル(48)(根本)、栗橋(28)(根本)、スティーブ(16)(柳田)

試合は思わぬ展開となった。先発したエース鈴木が三回、蓬莱に3ランを浴びたのだ。息をのむ3万2千人の大観衆。まさか…と一瞬、スタンドは静まりかえった。

杞憂(きゆう)に終わった。五回、石渡が左翼へ8号本塁打を放ち反撃の狼煙(のろし)をあげると、平野、小川の連続四球のあと佐々木が左翼へタイムリー二塁打。そして大砲マニエルが48号3ラン…。終わってみれば14長短打10得点。勝利の瞬間、スタンドからファンがなだれ込んだ。そして、西本監督を担ぎ上げた。「ボスを胴上げするんだ」と言い続けてきたマニエルもその輪に近づくこともできない。ワッショイ、ワッショイ、前代未聞のファンによる胴上げだ。

西本が初めて「監督」と呼ばれたのは大学時代だという。旧制和歌山中から立教大へ進学した西本は、予科3年のとき正一塁手に定着した。当時、立教大には監督がいなかった。そこで主将の西本が「監督」を兼務することになったのである。

太平洋戦争が激しくなり昭和18年に大学を卒業した西本は中国・南京の予備士官学校へ入学。翌19年に少尉を任官した。配属されたのは「糧馬部隊」。馬に荷を積み運ぶ任務だが、馬が栄養失調で歩けない。「わしらが馬を担いで行軍したんや。当然、のろのろと遅い。敵の狙撃兵の格好の的となった。ひどかった。よう生きて帰れたもんや」。この時期に「集団とは何か」「指導者の責任とは何か」を体験として学んだという。

西本監督は自分の背番号について語ったことがある。「監督は選手より目立ったらアカン。そやから角のない丸い平凡な数字を選んだんや」

その背番号「68」が、何度も何度も宙に舞っていた。(敬称略)

虎番疾風録 其の参68

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