「体が沈んでいたので、『いかないと』と感じました」
休暇中の平成30年4月29日、京都府舞鶴市の埠頭(ふとう)で、人だかりに気づき駆けつけると、高齢者の男性が海中に転落していた。迷わず海に飛び込んだ。男性の気道を確保して立ち泳ぎし、命を救った。人命救助の経験は「初めて」というが、「自衛官として、救命措置は教わっていたので、思ったより落ち着いて行動できました」と話す。
海自入隊は大学2年生、20歳の時。遊んでばかりの大学生活に「このままでは駄目やな」と感じて入隊した。当初は護衛艦に搭乗していたが、平成17年、水泳の強化チームに選ばれ、そこで水中処分隊の任務を知った。第1術科学校(広島県)で課程を修業し、22年に水中処分隊員となった。「初めて不発弾を爆破処分したときには、非日常な光景に思わず震えました」と手応えを話す。
一方、東日本大震災でも捜索に参加するなど災害出動の経験も積んだ。昨年7月の西日本豪雨では、舞鶴市内の河川7キロ上流で行方不明になった男性を河口周辺で潜水して捜索し、遺体を発見した。「『すぐに揚げてあげないと…』という思いでいっぱいでした」と振り返った。
仕事のやりがいを「爆発物の処分で漁船が出港できたり、災害派遣で人を助けたり、社会貢献が形として目に見えます。任務を完遂したときには『ああ、よかった』と思います」と話し、表情を引き締めた。(永山裕司)=随時掲載