国民の自衛官~横顔

(2)海自硫黄島航空分遣隊・石井純一3等海佐(55)ヘリで8時間 「東北救う」

操縦士として多くの現場を踏んできた石井純一3等海佐。ヘリと“対話”することで「機体の状態が分かる」と語る(海上自衛隊提供)
操縦士として多くの現場を踏んできた石井純一3等海佐。ヘリと“対話”することで「機体の状態が分かる」と語る(海上自衛隊提供)

 ヘリコプターの操縦士教官として鹿屋航空基地(鹿児島県鹿屋市)の教育航空隊に所属していた平成23年3月11日、東北地方を激しい揺れと津波が襲った。かつて青森県の大湊地方総監部に勤務したこともあり、土地勘はある。「行かせてくれ」と出動を志願した。

 翌12日の午後2時に鹿屋を出発、1400キロ以上離れた大湊に到着したのは午後10時ごろ。8時間に及ぶヘリ移動は初めての経験だったが13日から活動を開始。主に上空1500メートルを飛びつつ本部と現場で任務に当たるヘリとの無線を中継する役割を担った。

 「小学校で多数の避難住民を発見」。岩手県の上空を飛行中、現場ヘリから増援要請の無線を受けた。本部に指示を仰いだが情報が錯綜(さくそう)し、なかなか返答が来ない。「救うぞ、という思いだけだった」。自身の判断で高度を下げ、現場に急行した。

 子供を含む14人を救助し、避難所へ輸送した。降ろすときに座席から振り返ると、小学生ぐらいの男児がニコッと笑う白い歯が見えた。音が激しく、会話はできなかったが、安堵(あんど)感に包まれた。

 昭和58年にヘリ操縦士として入隊。通算飛行時間は7千時間以上という大ベテランだが、時間があれば機体を磨き、「痛いところはないか」と声をかけるという。「最近の若い人で機体を磨く人は少ないが、(機体の)細かい違いや状態が分かるようになる」。実直な仕事人は、会話の重要性を説いた。(吉沢智美)=随時掲載

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