話の肖像画

マンガ家・永井豪(8)渋滞ヒント「マジンガーZ」誕生

漫画家の永井豪さん(酒巻俊介撮影)
漫画家の永井豪さん(酒巻俊介撮影)

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《「デビルマン」の連載が始まって4カ月後の昭和47(1972)年10月、週刊少年ジャンプで「マジンガーZ」の連載がスタートした。同年末にはフジテレビ系でアニメ放送もされるようになる》

小さい頃から手塚治虫さんの「鉄腕アトム」や横山光輝(みつてる)さんの「鉄人28号」を読んでおり、ロボットは少年マンガの王道で「一度は描かなければ」と思っていた。でも自立型ロボットはアトム、ラジコンで操縦するのは鉄人28号でマネになる。ほかの設定はないかと考えていたとき、渋滞する車列で横断歩道がふさがれ、青信号なのに渡れないことがあった。「これだけ詰まっていると後ろの車はまたいで進みたいだろうな」と考えていると、車から足が出て立ち上がるイメージが思い浮かんだのです。車を運転するように、人がロボットに乗って操縦するのはどうだろうか。大発明でした。

《人が搭乗してロボットと一体となって戦うマンガは世界初だったという。全長18メートル、超合金Zで包まれたボディーは、神にも悪魔にもなれるほどの力を秘めた魔神だ。作品では祖父の兜十蔵(かぶと・じゅうぞう)博士がつくったマジンガーZに乗り込んだ孫の甲児が、ドクター地獄(ヘル)の送り込む機械獣を倒すため、果敢に立ち向かう。「巨大ロボットものマンガ」という分野を切り開いた》

ロボットがあまりに巨大になるのは本当にいいことなのかを考えてほしかった。操縦方法がわからず最初は暴走するけど、敵が現われることで「日本を守るんだ」という自覚が生まれる。自分のエゴのために暴力をふるうことは反対だが、何かを守るために戦うことは許されるのでは、と考えました。ロボットを遠隔で操縦する者は、安全なところにいる司令官と同じで、自分には合わないと思った。マジンガーZはロボットに乗って戦うのだから、自分も死ぬ可能性がある。ロボットを操縦するということには、それだけ大きな責任がかかるということを感じてほしかった。

《続いて執筆した「グレートマジンガー」は昭和49~50年に雑誌「テレビマガジン」(講談社)に、さらに50~52年には同誌に「UFOロボ グレンダイザー」が連載された。「マジンガーZ」は1975(昭和50)年のスペインをきっかけに、欧州各地でアニメ放送されるようになった》

アクションがあってロボット同士が破壊し合うというのが欧州では驚かれた。しかも少年が搭乗して操縦し、大人がびっくりする力を発揮する。欧州では頭をおさえつけられている子供が、早く大人になりたいという成長マンガとしても読まれたみたいです。

スペインで「マジンガーZ」の放映が始まって1年後くらいに、フランスで「グレンダイザー」の放映が始まった。「ゴルドラック」というタイトルだったが、これが社会問題化した。「子供がロボットを扱い、敵のロボットを破壊するようなアニメを放送していいのか」という論争です。その論争で大人たちにも知られるようになりました。欧州では「ゴルドラック」1本あれば、ほかのロボットアニメはいらないといわれていたらしいです。「ゴルドラック」はその後、たびたび再放送され、今でもファンがいます。

1988(昭和63)年に映画祭の審査員としてフランスに招かれたとき、現地の記者が「日本人はエコノミックアニマルで、金もうけしか興味がないと思い込んでいた。しかしゴルドラックを見て、自分たちと同じ感情を持った熱い血が流れているのがわかった」と言ってくれた。以後は日本のアニメを伝えようと、サイン会などで二十数カ国を訪れた。当初、ぼくのことを知っている人はごく一部だけでしたが、今ではイタリアに行くと「マエストロ」(巨匠)なんて呼ばれてしまいます。(聞き手 伊藤洋一)

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