光秀は近江出身だった? 来年の大河ドラマご当地から新説(2/2ページ) - 産経ニュース

メインコンテンツ

光秀は近江出身だった? 来年の大河ドラマご当地から新説

 本能寺の変の後、光秀が現在の京都府大山崎町付近で羽柴(豊臣)秀吉と戦った「山崎の合戦」を前に、光秀から戦場から離れた多賀大社宛てに、社内での兵士の乱暴を禁じて安全を保証する書面が送られているなど、多賀と光秀を結びつける史実もあるという。

 井上係長は「史料が不十分で史実とはいえないものの、決して荒唐無稽な話ではない。状況的には美濃説に比べても信憑(しんぴょう)性は高いといえる」と自身が唱える新説に自信をのぞかせる。

 一方、通説とされている美濃説については「根拠とされている史料は近江説を否定できるほど決定的なものではない」と指摘する。

 井上係長は光秀に関する史料が少ない理由を「主君を討った裏切り者のイメージが定着しているからだ」と分析する。佐目地区でも光秀の家臣の子孫と伝わる住民が「見津家」姓を名乗っているが、光秀の家臣だったことを隠すために「みつ」ではなく、「けんつ」と読ませるなど、光秀との関係を公にすることをはばかる風潮があったという。

 井上係長は「大河ドラマを機に、光秀の悪いイメージによって隠されてきた史料や伝承が掘り起こされ、新しい事実が明らかになれば」と期待を寄せている。