虎番疾風録

野村監督は野球より女を取った 其の参58

虎番疾風録 其の参57

「野村騒動」とは当時、選手兼監督を務めていた野村監督の「解任劇」のこと。昭和52年8月下旬に「来季も野村体制でいく」と公言していた南海の川勝オーナーが9月25日、一転して「解任」を示唆したのである。

「野村君については私なりに期待して、見守ってきたつもりだ。来季も頼む腹づもりだったが、ちょっと事情が変わってきた。チーム内での公私が混同されている面もあり、各方面からこうした点で非難の声があがってきたからだ」

川勝オーナーが解任の理由とした「公私混同」とは野村監督の〝愛人問題〟。当時、野村は前夫人との間で離婚訴訟中。ある女性と愛人関係にあった。その女性とは後に野村の後妻に入った沙知代夫人(サッチー)である。これだけなら解任の理由にはならない。だが…。

「選手やコーチを呼び捨てにして、小間使いのように用事をさせた」「選手の起用に口をだした」「コーチ会議に出てきた」「選手バスに乗ってきた」という選手やコーチの苦情や不満がチーム内から噴き出したのだ。

事を重く見た川勝オーナーは何度か野村を呼んで正した。そのたびに野村は「彼女が采配に口を出したとか、コーチ会議に出たという噂は全部デマです。彼女自身野球を知らないし、そこまで口をだすような非常識な女ではありません」とかばった。だが、「解任」への流れはかえることができなかった。

はるか後年、サンケイスポーツの評論家となった野村は平成27年4月、特集『私の失敗』の中で、当時のことをこう回想している。

『解任の報道が出る少し前、川勝オーナーや森本球団代表、私個人の後援会長、それに何かと応援してくれていた比叡山延暦寺の葉上阿闍梨(あじゃり)とが集まって、私の更迭を決めたらしい。このときオーナーは「何とか続投を」とかばってくれた。だが、ある日、阿闍梨に呼ばれ「このままでは野球ができんようになるぞ。野球を取るか、女を取るか、はっきりせい!」と迫られた。わたしは「女を取ります」と答えた。「仕事はいくらでもあるが、沙知代という女は世界に一人しかいない」と―』

なんという格好いい宣言だろう。この後、45歳まで現役にこだわり続けた野村だが、この時は「野球」よりも「女」を取ったのである。(敬称略)

虎番疾風録 其の参59

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