《男ばかりの5人兄弟の四男だ。父の仕事の都合で6歳で東京へ引っ越すまで、石川県輪島市で過ごした》
4、5歳のころ、旧制四高(現金沢大学)で寮生活を送っていた長兄が夏休みなどで輪島に帰ってくるとき、赤本とよばれたマンガを買ってきてくれたんです。「メトロポリス」や「ファウスト」など手塚治虫さんの作品。分厚い「拳銃天使」を弟が、僕は地球編と宇宙編で2冊あった「ロストワールド」を選んだ。自分では読めないから、兄たちに読んでもらい、夢中になって聞いていた。絵本と違ってドラマがあって、登場人物が実際に生きているようで、新しい文化に触れた感覚でした。家では「少年画報」の前身である「冒険活劇文庫」をとっていて、「黄金バット」(永松健夫)や「地球SOS」(小松崎茂)が掲載されていた。「地球SOS」は攻めてくる宇宙人に、日本と米国が協力して戦うという絵物語。戦争が終わり、米国は敵じゃないということだったんでしょうか。
終戦の年の生まれなので、子供のときには戦争のことは何度となく聞かされた。手塚先生も戦争をテーマにした作品を多く描いている。人間は戦争を繰り返す生き物。戦いをエスカレートさせれば、人類は滅びますよというテーマがあった。読者の心に残るものを描けば、作品としても長く残ると思います。
《昭和24年に雑誌「おもしろブック」が創刊。山川惣治の「少年王者」など絵物語が主流で、マンガはその付録扱いだったが、徐々に立場は逆転していく》
貸本向けで、さいとう・たかをさんの「台風五郎」シリーズは人気があったし、水木しげるさんの「地獄」は鬼が攻めてきて人間を串刺しにするような残酷さがあったが、ユーモラスな絵柄で面白く見ることができた。白土三平さんの「忍者武芸帳」などは中学に入ってから同級生に勧められたんだけど、殺戮(さつりく)シーンの迫力に衝撃を受けた。虐げられる農民の戦いが描かれていたのが新鮮でしたね。
《3歳のときに見た夢をはっきりと覚えているという。その体験をヒントに51年、「手天童子(しゅてんどうじ)」(週刊少年マガジン)を発表した。鬼をモチーフにした壮大な冒険ファンタジーは後に、一大ジャンルとなる》
天井のいくつかの節穴がバリンと割れて、巨大な毛むくじゃらの手がつかみかかろうとしてきた夢です。ショックで大泣きしましたよ。夢では平安時代の貴族のような住居にいました。
「手天童子」を描き始めたら、またひんぱんに夢をみるようになりました。さらにアシスタントが体調不良になったことも。でも、恨みをもった人が鬼になる、人間こそ鬼の正体だ-というアイデアは夢にもらったものです。それを作品にすると、また夢をみる、の繰り返し。体力を使いました。
マガジンでは45年に、読み切り100ページのSFマンガ「鬼-2889年の反乱-」を描きました。連載のギャグマンガ「キッカイくん」の評判がよかったので、同じ出版社(講談社)から「ごほうびにストーリーものを描いてもよい」と言われてね。このときも鬼にたたられたのか、高熱を出して大変だった。連載ものは落とさず(休載させず)、「鬼」を描け-という指示だったんだけど、体調がもどらず、「キッカイくん」を落としちゃった。これまでで唯一、締め切りに間に合いませんでした。(聞き手 伊藤洋一)