10月6日、筆者は新大阪駅にいた。9月29日から戦列を離れていた主砲掛布が、痛めた膝や腰の治療のためこの日、和歌山県那智勝浦町にある「町立温泉病院」へ出発するのである。
「龍一も来るのか?」。あの穴蔵での1分間体操以来、すっかり仲良くなった掛布が笑いながら声を掛けてきた。ついて行きたかった。だが、虎番1年生には許されない。
「いや、先輩が行く。オレはパ・リーグや広島の優勝取材を手伝わなあかんねん」「そうか、ぺーぺーはつらいな」とまた笑った。
〈何を言うてんねん。一番つらいのはお前やないか…〉2月24日、米アリゾナキャンプでの大洋とのオープン戦で左手中指を突き指したのが〝不運〟の始まりだった。4月18日、巨人戦で走塁中に左膝の半月板を損傷し戦列離脱。その後、復帰したものの5月30日、大洋戦の試合前の練習で左膝に打球を当てて欠場。8月19日、広島戦で腰痛を訴え途中退場。9月8日、広島戦で代打で中前安打を放ったが腰痛再発。同29日に1軍登録抹消となった。
「本当にいろんなことがあった。たった1年でこれだけたくさんのことを経験したのはオレぐらいじゃないか。ことしのマイナスを元に戻すまで帰らない。来季のための体を作るまでは…」。悲壮ともいえる主砲の誓いだった。
本塁打王からどん底へ。〈オレが担当になってカケに不運を呼び込んだのかなぁ〉とも思った。だが、そんな筆者の悩みは新妻・安紀子さんのつらさとは比べものにならなかった。
自宅には毎日のように脅迫の電話がかかり「お前と結婚したからや!」と怒鳴られたことも。ゴキブリやカミソリが仕込まれた手紙も何通も届いた。自宅に帰ってきた掛布の口癖が知らず知らずのうちに、「変な電話なかった?」になった。そのたびに、安紀子夫人は「あるわけないでしょ。みんな頑張ってください―って」と笑って答えた。
泣き出して、すぐそばの実家へ逃げ帰りたくなるのを、必死に歯を食いしばって耐えていた。
「雅之さんのお嫁さんになるとき、涙は捨てました。わたしが泣いていたらあの人が余計、みじめになるでしょう」
〈がんばれ!〉掛布を乗せた特急「くろしお」を手を振って見送った。(敬称略)