プロ野球界に〝秋風〟が吹き始めた。特に下位球団の秋は早い。水面下でストーブリーグの火がぽっ、ぽっと燃え出していた。もちろん、虎番1年生の筆者にそんな気配は分からない。10月5日、東京・日本武道館で行われた山口百恵の「さよならコンサート」に心が向いていたのである。もちろん、見には行けない。
開場は午後4時。1時間前から長蛇の列。警察の調べでは、その日、100人以上のダフ屋が出現し、通常7千円の席が5万円で取引されていたという。
午後6時、「ジス・イズ・マイ・トライアル」で幕が開いた。
「こんなにたくさんの人に、この日を見守ってもらえるなんて、こんなに幸せなことはありません。悔いを残すことのないよう歌います」と百恵はあいさつ。そして、ヒット曲を歌った。会場には宇津井健、阿木燿子、親友アン・ルイスの姿も見られた。
昭和48年「としごろ」でデビュー。〝花の中3トリオ〟(森昌子、桜田淳子)として大人気歌手となり、毎年ヒットを飛ばした。「ひと夏の経験」(49年)「白い約束」(50年)、「横須賀ストーリー」(51年)「イミテイション・ゴールド」(52年)「プレイバックpart2」(53年)「しなやかに歌って」(54年)…。そして55年のヒット曲「さよならの向う側」を最後の曲に選んだ。曲のイントロが流れる。真っ白なドレスに身を包んだ百恵が最後のあいさつに臨んだ。
「わたしのわがままを押し通し、それを許してくれたみなさん…。お幸せに-といわれることがうれしくて…。そうしたみなさんの心を裏切らないように、精いっぱい、さりげなく生きていきたいと思います。いま、みなさんに“ありがとう”という言葉をどんなに重ねても、私の気持ちに追いつけることはないと思います」
涙があふれて歌えない。何度も何度も途切れさせながら「さよならの向う側」を歌い切った。「モ・モ・エ!」コールが起こる中、涙を浮かべて一礼。ステージの中央にそっとマイクを置いた百恵は、後方に張られた幕の向こう側に姿を消した。鳴りやまないファンの拍手と「アンコール!」の声…。だが、百恵が再びステージに現れることはなかった。
熱狂的な百恵ファンではなかったが、その潔い身の引き方に、筆者は感動していた。(敬称略)