朝晴れエッセー

志津川の町・8月28日

7月20~23日、南三陸町志津川に帰省した。3年前の冬、姉は大けがをし入院、退院した後1カ月ほど手伝いに行き毎日リハビリに付き添って以来だ。その頃復興工事真っ盛り。仮設の部屋の中、騒音とホコリ、洗濯物は外に干せない。「いつまで続くんだろうね」とつぶやいていたのだ。

仙台から高速バスで駅に着いた。プレハブの小さなバス停。見渡す限りの変わりよう、まるで見知らぬ街に降り立った感がした。生まれ育った場所、上京して半世紀以上、また深い悲しみと強い悔しさ、胸一杯に広がった。

あの大地震と大津波は肉親を始め、多くの尊い命を奪った。命のある限り忘れることのできない苦しみとともによみがえった、新しくできた何本もの道。どこに続いているのか。

タクシーで姉の住む復興住宅へ向かった。山をけずり杉林を倒し、新しい街がここにもできていた。団地が何棟も目の前に現れ、入り口の前に小さくなった姉が立っていた。「帰ってこい」「顔を見せて」と何度も連絡をもらっていた。この部屋を見せたかった気持ちがよくわかる。あの四畳半一間の仮設に6年もの間、不自由な生活、つらい日々からやっと普通の暮らしができる喜び、言葉になってあふれている。

翌日、さんさん商店街へ。防災対策庁舎の先端だけがかろうじて見える。いずれ復興祈念公園ができ、その象徴となる。次回帰省時にはすっかり生まれ変わった公園を姉と一緒に散歩しようと心に決め、雨の中仙台行きの乗客となった。

木村 信子 76 東京都東大和市