平成時代に女子アナブームの一翼を担った近藤サトさんが、白髪を染めないままのグレイヘアで初めてテレビ出演し、視聴者の度肝を抜いたのは昨年5月、49歳のときだった。
「いろいろなご意見をいただきました。女を捨てたのか、美魔女にけんか売るのかとか。老けた、劣化したの声には、『はい、見ての通りです』と。逆に、いいねって反響が想定外でした。まず自分が慣れなくて、風になびく白い髪を見て『おおッ!』と反応したり。一番の敵は自分だったかも」
20代後半から始めたという白髪染めだが、東日本大震災後、防災用品をそろえるなか、乾パンと一緒に白髪染めをリュックに入れる自分に「いったい何をしているのだろう」と失望したのがきっかけだった。そして、「老いに抗(あらが)っていつまでも表面的なことをカバーする努力はしんどいし、必要ないんじゃないか」と。
それでも鮮烈のデビューまでは7年かかった。その紆余(うよ)曲折の思いも込めた著書『グレイヘアと生きる』が世の中高年女性たちに勇気を与えている。
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「これ、みんなでグレイヘアにしましょうという本ではないんです」。50歳を前に、生き方、これからを模索するなかで「いかに自分らしく老いるか、ありのままの自分とは何かを考えました。ありのままってあんなに大騒ぎしたのに、全然ありのままじゃないじゃないって(笑)」。
そして、「白髪にすることはネガティブなものではないと気がついた。私にとって悪しき習慣だった白髪染めをやめたように、日常生活の中の気づきをきっかけに、生き方の哲学を学び直せば、人生はどんどん豊かになることを伝えたい」という。
本書執筆でも、毛染めの歴史、女性の白髪を悪とする概念はいつ生まれたかなど古今東西の文献、統計などを調べ、源氏物語から政治、男女格差まで考える。
グレイヘアにしたことで電車の中では席を譲られ、男性には飲みに誘われなくなったと笑い飛ばす一方、髪にあわせて服やアクセサリー、行動も変化したと楽しそうに話す。
「ありのまま、自然体の自分に自信がついて、新しい学び、仕事、出会いも。画一的な生き方でなく、自分の意志で生きるのはしんどいけど、その先には本物の自由があると思う。今、私はすごく自由だし、もう何も怖くないんです」
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意外にもこれが初という著書では、自身の半生も赤裸々につづっている。部屋にアイドルの写真と並べて仏像の写真を貼っていた小学生時代、進学校への入学、卒業時もビリだった高校時代、バブル絶頂期も流行に見向きもしなかった大学生時代、そして、「天狗(てんぐ)になっていた」女子アナ時代…。自己分析も「ちょっと変わっている」「へそ曲がり」「お気楽」「ネガティブ人間」と容赦ない。
「(経歴から)明るいところばかり通ってきたと思われがちだし、恵まれていたと思いますが、実際はこうだった。良くも悪くもこういう人だから、グレイヘアにできたのね、と思ってもらえれば」
実際、フジテレビ退社後、歌舞伎俳優との結婚・離婚、その後再婚、出産など波瀾(はらん)万丈。「負けず嫌いでやってきたけど、子供のころ、先生から『立ち直りが早すぎる。もう少し悩んでください』といわれたように、どこか楽観的なところもあった」と振り返る。
著書でも、〈不幸せな出来事がつぎの幸せにつながっていく〉と記し、「人生は楽しいぞ」という父親の遺言を実感する日々とも。その勢いはグレイヘアでますます加速しそうだ。
(文化部 三保谷浩輝)
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こんどう・さと 昭和43年、岐阜県生まれ。日大芸術学部放送学科卒。平成3年、フジテレビに入社し、報道番組や情報番組を担当。10年に退社後はフリーランスで活躍。現在はバラエティー番組などでナレーションのほか、日大芸術学部放送学科特任教授も務める。